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『聖刻ノ猟手』は、中原新暦1948年早春のヤカ・カグラを舞台にした物語です。
 物語の冒頭となる操兵同士の決闘シーンは、宿場町ドウシャにほど近い名もなき鍛冶師の集落の出来事です。
 大街道上の宿場町周辺には、操兵の修理や部品の製作を請け負う鍛冶師の集落が多く存在します。いくつか有名な場所もあり、そういうところは集落といいながらへたな宿場町より規模が大きかったりしますが、大半は過当競争の結果、共倒れとなってひどく貧しい暮らしを送らざるをえない状況です。

 主人公のひとりシュウマのいる場所もまさにそれで、なまじドウシャのような大きな町のそばにあるだけに、ほとんどの客は有名鍛冶師のいる街区に流れてしまい、たまに訪れる客も食い詰めた操兵持ちばかりで、せっかく修理や整備をしても値切り倒されたり、ひどい場合は踏み倒されたりと、悪循環に陥っています。
 シュウマはさらに貧しい両親に、徒弟として鍛冶師に売り飛ばされた人間です。それは口減らしの意味もありましたが、鍛冶師の家ならとりあえず毎日食事はできるので、子供のためでもあったりします。
 とはいえ、説明したようにシュウマを買った人間も貧乏鍛冶師で子だくさんのため、生活はあまりよくありません。たまに食べられる肉も、砂トカゲの骨と皮だけでできたような代物で、たいていは多肉植物(サボテンとか)を燠火であぶったものが主食です。
 しかもシュウマは操兵との相性がいいらしく、鍛冶仕事はほとんど教えてもらえずに、操兵の取り回しだけをさんざん叩き込まれてきました。実際預かった操兵をきちんと動かせる人間がいないと、操兵鍛冶は商売にならないので、シュウマのような人間はじつは貴重だったのです。
 けれども、師匠はそのことは口にせず、鍛冶師として使えないが、その特技のおかげで捨てずに置いてやっているんだと言ってはばかりませんでした。
 シュウマは賢かったので、師匠のうそはすぐに見抜いていましたが、感謝もしていたのでだまってきました。が、大口の顧客が仕事を持ち込み、珍しく踏み倒さなかったおかげでいくばくかの金貨を手にした師は、シュウマにはなにもあたえず、自分たちの子だけにどこで手に入れてきたのだか、焼いた肉を食べさせたのでした。
 食べ物の恨みは、なによりも根深いと申します。さすがにシュウマも潮時だと感じたのでしょう。深夜の騒ぎは渡りに船だったわけです。

 ちなみに、大口の客とはアーカルマを預けたイゼーラのこと。じつはシュウマは一度アーカルマを動かしていたのです(運ぶために歩かせただけですが)。
 という事柄を念頭において、もう一度以下の文章をお読みいただくと、いろいろ別のものが見えてくるのではないかと思います。

 ちゃ、ぢゃん
 ちゃんちゃん、ばり、ごん
 ばり、ごりり

 夜更けの街道筋に轟く剣戟の響き
 大剣振るう風切り音に、激突する鋼と鋼
 鉄の兵の大立ち回りに
 砂塵は舞い、敷石は抉れ飛ぶ

 ずん
 ずん、ど、ばしん

 足元揺さぶる衝撃に
 童子シュウマはこの世の終わりと飛び起きた
 敷石が壁に穿てし大穴より、昏き通りを覗き見れば
 ひらりひらりとひらめき回る
 巨人の刃の死の舞だ

 貧乏鍛冶師の住んでる場所なのに、敷石とはと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、敷石がなければ操兵のような重量物がまともに通れないので、多少貧しくてもこういう部分はしっかりしています。でも、ちょっと操兵が暴れただけで舗装がなくなってしまうくらいなので、安普請に違いはありません。
 加えて言えば、中原のこのあたりは長きにわたって好景気が続いています。なので、貧乏といっても、なにかとお金を得るチャンスは転がっていますから、いやしくも鍛冶屋を名乗るからには、相応の建物は所有しています。操兵運び込んで、その振動で家が崩れたらシャレになりませんし。

 やあ
 やあ、卑怯なり
 夜陰に乗じて昼間の仇討ちとは、操兵猟手の風上にも置けぬ

 響き渡るは破れ鐘の声
 あたかも巨人が鎧を纏い、怒りに震わせし様にも似たる

 なんとこれは異なことを
 猟手たる者、誇るは狩りたる首級の数なるや
 加えて与えられたる恥辱をそそぐに
 なんの正道たることぞ

 ここらで〈猟手(かりて)〉のなんたるかがちょっとだけ語られています。
 この時代、操兵はけっして手に入りにくい代物ではありません。弱いですが。
 なので、中原の無法に近い場所(ヤカ・カグラなんかまさにそう)では、どこからか操兵を手に入れて、好き勝手やってる連中がたくさんいます。
 でも、それだけでは食べていけませんし、なにより操兵の機体を冷やすための水が買えません。普通に考えれば操兵を使って荷役をこなしたり、どこかの用心棒に雇われたりするなどして日銭を稼ごうとするものですが、いつの世にも血の気の多い人間というものはございまして、出会った操兵の首を狩って、それを売って金儲けをする者が結構な数いるわけです。
 彼らを、操兵猟手、あるいは猟手と呼びます。
 考えてみればヤクザな稼業ですが、街道筋というちょっと異常な土地柄では、猟手たちはちょっとしたヒーローだったりもするのです。有名な猟手を倒せば、その名声は倒した猟手に引き継がれ、ちょっとした伝説になっている人間もいる。
 シュウマのところにもそんな人間がたまに訪れて、彼にいろいろ語って聞かせてきたわけですが……。

 おなじく破れ鐘の声なれど
 長柄の斧構えし隆々たる体躯の兵には
 いささか邪の響きあり

 陰より見守るシュウマの目に
 背を向け、大剣構えて立つその姿
 音に聞こえしバル・アーカルマ

 ぢゃりん、ばしん
 ごごん、どおおん

 ふたたび捲き起こる剣戟の音は
 しかし唐突に終わりを告げる
 対する痩躯の巨人は、したたかに背を叩きつけられ
 鎧歪ませ地に崩れ落ちた
 ぎいっと耳に触る響きとともに
 その背より吐き出されしは
 長き髪を後ろに結えた女武者の姿

 倒れし巨人の上に立ちて、斧を構えし巨人の兵は
 勝ち誇りて呵々と嗤う

 それまでよ、イゼーラ、街道の花
 所詮女ごときに猟手はつとまらぬ
 音に聞こえしアーカルマも、かよわき女の手にあればこれこの通り

 正直、バル・アーカルマはそれ自体そんなに飛び抜けて強い機体ではありません。強さとしては上の下というところか。しかも、かなり操手を選ぶのです。これは高性能機とされる操兵(仮面)にありがちなんですが、仮面の力がそれなりだと、自我も強くてわがままになる傾向があるわけです。
 もっとも、アーカルマの仮面は言葉を発するほどではありません(この時代、そんな操兵がいたらそれだけでいろんな方面から声がかかる)し、ほんのちょっぴり他の仮面より力が出たり、素早く動けたりという程度のものですが。
 で、それを引き出せるのは仮面と相性のいい人間だけです。それ以外は、なみの性能かそれ以下まで落ちてしまう。残念、イゼーラはまさにその相性がなってなかったってわけです。もっとも、アーカルマは彼女を嫌っているわけではなく、だからこそここまで旅ができたわけですが。

 屈辱に面を歪め
 押さえた肩をかばい立ち上がる花と呼ばれし娘
 帯びたる大剣引き抜いて、痩躯に似合わぬ大音声

 なれば試すか
 堂々たる一騎打ちにて、いざ、立ち会え
 それとも女ごときに剣の仕合で尻込みするか

 堂々たる啖呵にて呼ばわれば、斧の兵の猟手、その背より現れぬ
 おお、よくぞ言った小娘が、なればわが剣の錆にしてくれん
 たちまち始まる剣戟の響き、痩躯の娘、思いもよらぬ大力に
 大柄なる男押されに押され、後はなし

 さればああ、なんたること、無人のはずの斧の兵、白煙吹き出し立ち上がる
 まさか己が一人で来ると思うたか
 勝ち誇る相手に鼻白み、イゼーラじり、じりりと後ずさる

 さればその時、身を軋ませ、地を割りて立ち上がるは
 やはり無人のバル・アーカルマ
 なんとその背に乗り込むは、意を決したるシュウマ・キシルマ
 街道筋の鍛冶屋の小僧、親方の操兵を操るを
 見よう見まねで試しまする

 届かぬ足で足踏桿(ペダル)を踏み、肩の高さでつかむ操縦桿
 されどアーカルマは疾風の如く
 斧の兵を蹴り倒し、叩き伏せ
 恐れをなしたか兵の操手、アーカルマに背をむけ走り去る

 取り残されたる卑劣漢、悲鳴をあげてそのまた後を追う
 振り返りし街道の花イゼーラ・ユタフ
 姿見せたるシュウマにいささか驚きを隠さず

 されば、これこそ後に聖刻ノ猟手なる物語でその名を知らしめる
 イゼーラとシュウマの出会いの挿話
 はてさてこの物語、いかなる始末と相成りまするやら

 先にも書いた通り、シュウマは操兵との相性のいい少年でした。アーカルマもその例外ではなく、一度数リートを歩かせただけの操兵を、倒れた状態から難なく立ち上がらせます。
 シュウマは、いままで操兵を移動のために歩かせてきただけで、少なくとも戦い方などは知らないはずでした。でも実際は、門前の小僧習わぬなんとやらで、依頼主などが仕上がった機体を試しに動かすのを間近で見ていて、だいたいの要領はつかんでいたようです。
 もっとも、アーカルマの仮面が、シュウマの意思を汲んだ部分も大きいようですが(というか、操兵の場合これがすべてって話もあります)。もちろん、仮面が意思を汲んでくれるというのも、操兵乗りとして立派な才能のひとつです。
 いずれにせよ、シュウマは特別な生まれでも、古のナントカの流れを汲む人間でもありません。たまたま、そういう資質を持って生まれてきただけに過ぎません。
 だから、話が進んでいけば、同等かそれ以上の才能を持った人間(たぶん敵)も出てくることでしょう。そこで、シュウマがどうやってそれを乗り越えていくかということも、お話の肝のひとつと言えますね。

 さて、イゼーラです。彼女は、父の仇ナージャク(なんと名前しか知りません。いい加減なヤツ……)を探して旅をしています。もっとも、本当は仇討ちのためではないため、ナージャクがどこにいるか調べてもいませんし、かりに出会っても本当の本気でやりあう気などありません。
 後でも出てきますが、彼女の目的は一目惚れした客の青年に、自分の打った剣を手渡すことなのです。恋する乙女の一途さと申しましょうか、いやそんな可愛いタマじゃないけど。
 外見はかなりのべっぴんさんです。黙っていれば、まさに『街道の花』と呼ばれるにふさわしい娘と言えます。

 んが、こいつめちゃくちゃいい加減な性格です。父親の仇討ちとか言いつつ、相手の顔もなんにも知らないし、そもそも調べようともしてません。惚れた男を探して旅に出るなんて言えば許してもらえない(まあ、いまも別に許可なんかとってませんが)だろうから、仇討ちって言ってるだけなのです。ふざけんな!
 シュウマも大概なのですが、イゼーラに比べれば全然まともと言えましょう。

 イゼーラは、ナゼア地方の刀剣鍛冶の家に生まれました。本編の舞台となるヤカ・カグラまでは700リーほどの距離があって、ずいぶん長い期間をかけて旅をしてきたことになります。
 鍛冶師は、ナゼア地方では本来女の職業ではないとされてきましたが、イゼーラは鉄の扱いに天賦の才があることがわかり、かなり遅くなってからではありましたが、鍛冶師として修行をすることになったのでした。
 鍛冶師には序列があって、操兵鍛冶が最上位、鉄砲鍛冶がほぼ同格で、刀剣鍛冶、日用品を扱う平鍛冶と続きます。
 平鍛冶は一番扱いが低いのですが、イゼーラはその位を飛ばして刀剣鍛冶のアの称号を得る実力がありました。確かに刀剣鍛冶のアの位はけっして高くありません(12ある階位の9番目)が、そもそも刀剣鍛冶として称号を得るためには普通10年以上の修行が必要で、その中でアともなるとさらに2、3年かかるのが普通です。
 なので、イゼーラは、鍛冶師としては天才と呼んでもいい実力の持ち主と言っていいと思います。しかも彼女、運のいいことに操兵、鉄砲鍛冶の位は受けていないので、自由に旅をすることができます。
 そう、操兵・鉄砲鍛冶になってしまうと、住んでいる地域や国に名前を知られることになり、自由に旅や移住することができなくなってしまうのです。
 そりゃそうです。操兵・鉄砲鍛冶は立派な軍事技術者ですから。腕のいい人間ほど縛りが強くなりますし、監視の目をかいくぐってよそに行っても、身分を知られればその土地を支配している連中に目をつけられることになるわけです(特に数が少なく、習熟が難しい鉄砲鍛冶は、領主の類が完全に抱え込んでいる状態です)。
 もちろん、位を受けていないからといって、操兵をいじれないとは限りません。実際、イゼーラはその辺の下位の操兵鍛冶よりはるかにいい腕をしています。正式に修行をしていないだけで、門前の小僧……あれ、前も書いたような気がするな。
 さすがにアーカルマほどの機体となると、彼女の腕では直しきれない部分も出てきますし、オーバーホールに近いことなど設備を持った鍛冶師でなければ不可能ですから、シュウマの師匠を頼った(大手の工房の方が確実なのに行かなかったのは、もちろんそっちの方が断然高いから)わけですが、道中ではほとんどイゼーラが応急処置をしてきました。

 ですので、作中で本人が操兵を扱えると主張しても、誰もとりあってくれないわけですが、この辺も含めて彼女はとても運がいいのです。操兵鍛冶として使えることがわかれば、たぶんその場所の水源組合の雇ってる荒事得意な連中が、無理やりにでも引っ張って行こうとしたでしょうから。
 将来的にはそういうトラブルにも遭遇するでしょうが、まだろくに仲間もいない状態で水源組合に引っ張っていかれたらどうなったかーー彼女の性格や行動力、それにひそかに手に入れていた〈大力もたらす髪飾〉の力で、ことをもっと大げさにしていたような気がしてなりませんが。

(続く)

 聖刻ノ猟手・解説編 その2
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