さて、前回は主人公の2人、シュウマ・キシルマとイゼーラ・ユタフの出会いとなったエピソードについて解説しました。
今回はその続き。本文冒頭の部分です。
見上げれば蒼き空。
その遠き青に、さっとばかりに刷毛を走らせたかの如き筋雲が浮かび、暑熱を地上に振り撒く太陽が天を照らし渡る。
太陽(あれ)は生きとし生けるものを苛つかせるためだけに存在するのではとイゼーラが言えば、傍を歩く少年シュウマ、苦笑交じりに答えて曰く――
「あんたが愚痴るから暑苦しいんだ」
これはまさに売り言葉に買い言葉。
「なあにい! こっちゃ路銀削ってアーカルマの治具作ってやろうってんだ、なんだよその言い草は!」
そもそもこの二人、意気投合して旅に出たはいいものの、罵り合い蹴り合い殴り合いは日常茶飯ときたものだ。
シュウマは、幼さの残る顔に不快げな表情を浮かべ、隣を歩く長身の女刀鍛冶を見上げて答える。
「誰も頼んでないじゃないか」
「手足が届かないっていうから作ろうってんだよ! あのままじゃ、今度はどうなるかわからないって言ったのはシュウマ、あんただろ?」
シュウマは少々疲れ顔になる。
「アーカルマの乗り手はあんただろ? どうしておれに押し付けようとするのさ」
「だって操兵なんか好きじゃないもの」
イゼーラは鍛冶師の生まれ。父の仇が駆ったアーカルマ。それがいまはイゼーラのものとは、もとはといえば祖父が作りし機体(もの)とはいえ、なんたる運命の悪戯か。
「あんたの仇討ちだろ?」
「本当は、仇なんてどうでもいいんだ」
イゼーラは、少しばかり頬を赤らめながら、背中の大剣に手をまわす。
「初めての仕事なんだ。それを、都合が悪くなったって、あいつ、打ち上がったその日に姿をくらまして――勇名を馳せれば、そのうち見つかると思ってさ」
シュウマはそれに驚くやら呆れるやら。家を出る方便にまさか仇討ちを使うとは。
これの解決策は、操手槽を作り直すか、せめて治具を使って足踏桿を延長することなのですが、いい加減な作業では、万が一戦闘中に治具が足踏桿から外れたりしたら悲惨なことになりますから、かなりきちんとやらなければなりません。設備の整った鍛冶場を借りて、半日以上かける必要があるわけです。
ふたりが街道を移動しているのは、その公共の鍛冶場があるドウシャ近郊の集落に向かうためでした。ドウシャは周辺の町を含めるとちょっとした小国家くらいに広さがあるので、ドウシャの中の移動といっても、結構な時間がかかったりします。
そもそも操兵は大量の水を消費します。が、ドウシャを含むこのヤカ・カグラ周辺では、水は非常に入手が難しく、操兵を伴って長距離移動しようとすると、大変なお金がかかってしまいます。なので、シュウマは一刻も早く親方のもとを離れたがっているものの、ドウシャ周辺から動けないでいるのはそれが理由です。
それを考えると、よくイゼーラはここまで旅ができたものだと思いますが、そこはそれ、「街道の花」の名声をうまく利用してきたのでしょう。っていうか、そもそも自分からこんなイメージで見られるように仕向けた可能性すらあります。
あ、言っておきますが、別に彼女はふしだらじゃありませんよ? そんなの個人の勝手ですけど。こういう喧嘩上等な態度になったのも、環境のせいと言えなくも……やっぱりそれはもとからかもしれない。
とはいえ、イゼーラ・ユタフは街道の花。バル・アーカルマ駆る女猟手の噂はドウシャはおろか、ミナルゴの都にも知れ渡る。
日銭のために鍛冶仕事を引き受ければ、話を聞きつけた野次馬どもが引きも切らずに押し寄せる。
「なんだい、〈ア〉なのかい? するとあんた操兵鍛冶じゃなくて刀鍛冶ってわけだ」
操兵の甲冑を持ち込んだ猟手の男が、イゼーラの階位を耳にして顔を渋い顔。
アは刀鍛冶の階位。十二の階位の下から三番目だ。操兵鍛冶はそのまた別で、使う技法も知識も別のもの。
「ああそうさ。だけど猟手やってりゃ甲冑も触れるし、研ぎだってできる」
イゼーラは意気がるが、相手にとっては逆効果。苦笑いとともに立ち去った。
「他の旦那衆はどうだい!」
イゼーラの年齢(とし)でアを名乗れる者は、実は数えるほどもいないのだが、当の本人も知らないことを、どうしてそこらの流れ者が知るわけもなし。
集まっていた群衆も一人散り、二人散りと、しまいには珍しがりの物好きたちが残るばかり。
「なんだい、見世物じゃないんだ、商売の邪魔するならさっさと行きな!」
意気がるイゼーラの傍で、岩に腰掛けていたシュウマが欠伸をする。たちまち童子の頭に飛ぶ鉄拳。
「痛いな、なにすんだ!」
「こっちが苦心惨憺してるところに欠伸とはなんだ!」
見物していた物好きたちは、いいぞもっとやれとやんやの喝采。それをイゼーラがきっと睨みつけると、その向こうから旅姿の二人連れが、血相を変えてイゼーラたちのもとへとやってくる。
驚き顔でシュウマとイゼーラが迎えると、親子かはたまた姉妹か、年齢の離れたその二人が、こけつまろびつイゼーラの前に両手をついて懇願する。
「お願いです、追われています、どうか」
そう言って女は振り返り、傍らの小柄な娘をひしとかき抱く。見れば、いかにもといった砂色の外套に、布の覆面を着けた人影が四つ、五つ、こちらに向かって駆け寄るのが見える。
イゼーラは、懐に忍ばせた革袋から髪飾を一つ取り出し、賊に向かって立ち上がる。
「邪魔立てするならその娘も始末しろ!」
いかにも悪漢然としたわめき声に、イゼーラ、にやりと笑って手を後頭に回し、長い銀の髪を髪飾でまとめあげた。それから右手を肩口に回し、柄をつかんで背中の大剣をざらりと抜く。
まるで紙細工のごとく、重たげな剣がふうわりと女鍛冶師の手の中で踊った。
「な、なん――」
その言葉を言い終わらないうち、先頭の男、剣の平でしたたかに殴りつけられ、首を怪しい角度にひん曲げたまま、左に吹っ飛んで頭からがらくたの山に突っ込んだ。
あっけにとられたのは後の男たちだ。頭領が身体をびくつかせるさまに気を取られ、前に出たイゼーラにたちまち張り倒されていく。
断頭剣の異名を持つ、先端の丸まった異型の剣、それをとんとんと肩の上で弾ませながら、イゼーラにいやりと口の端を吊り上げた。
「女だからって舐めるなよ?」
びゅびゅん、ごうっと頭上で剣を振り回せば、すっかり怯えきった男たちが、悲鳴とともに逃げ去っていく。
「ああ! 助かりました、女剣士どの!」
芝居掛かった仕草で、女はイゼーラにすがりつく。
「一体何があったんだい?」
尋ねるイゼーラに、ユキムと名乗ったその女、妹チキと親類を訪ねる旅の途中、追い剥ぎにあって難儀していたと涙ながらに語り聞かす。
ユキムの巧みな弁舌に、すっかり乗せられたイゼーラは、深く考えもせず旅の護衛を引き受ける。
「ねえ、ちょっと……怪しいだろ、イゼーラ」
「うるさい! あんたは困った人を見て見ぬふりができるのかい?」
シュウマ、全くもって処置なしとばかり、首を振って天を仰いだ。
まずは〈大力もたらす髪飾〉について。
ワースブレイドや剣の聖刻年代記には、〈聖刻器〉というマジックアイテムが存在します。大地の世界にもそれらは残っていて(数はそれなりだけど、力は大きく衰えています。昔のような強力なものはないに等しい)、イゼーラが手に入れたのもそれです。
持ち主がたまたまその価値に気づいていなかったらしく、市でただの髪飾りとして売りに出されていた(燃料となるクズ聖刻石がないと、本当にただの髪飾りなので)のを、聖刻器の鑑定法を知っていた(ご都合主義ではなく、鍛冶師は操兵の仮面を扱うので、自然とそうした知識が身につくのです。シュウマは真面目なので、もっと詳しいかも)イゼーラがいち早く目をつけ、安く買い取ってしまったわけです。
例の斧の操兵の男も髪飾りを狙っていたのですが、イゼーラが目利きとは気づかず、先を越された上に舐めていたせいで交渉も決裂、冒頭のようなことになったのでした。
名前からも分かる通り、この髪飾りをつけた人間は、燃料として使った聖刻石の魔力によって筋力が数倍に跳ね上がります。どんな聖刻石でも使えますが、普通は他に使いようのないクズ石が燃料になります。当然、一度使ったらその石はただの石ころになってしまいます。
そして、一応この話の落とし所と考えている(変わる可能性は常にあります)、ブシャク冠国がらみの2人の登場です。
ありきたりですが、この2人は身分を偽ってここまで逃げてきました。イゼーラよりさらに200リー以上遠いところから来ていますが、彼女たちには援助する人間が多数いたと思われるので、途中まではそこまで困難な旅ではなかったでしょう。チキが好き勝手言っているのも、まだ本当の意味できつい目にあってないからです。
しかし、彼女たちの逃亡を援助する人間は、おそらくこの直前に完全に失われ、事情を知っているユキムは相当悲惨な覚悟で状況に臨んでいると思われます。なので、ある意味この能天気なコンビに出会ったのはユキムとチキにとって幸運だったと言えなくもありません。
ヤカ・カグラは経済的に活況を呈していますが、国家という縛りがないうえに、無法者も多く入り込んでいるため、けっして治安がいいとは言えません(そもそも護衛の人間が脱落したのも、それが原因だったことは想像にかたくありません)。
そんな状況を、それほど長い間ではなかっただろうとはいえ、少女連れの女ひとりで過ごさなければならなかった心労はどれほどのものだったか。
イゼーラがそこまで深く事情を読み取ったとは思えませんが、本能的に相手がどれほど困っているかには気づいていたのでしょう。
(続く)