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 聖刻ノ猟手 第1話『混沌呼び覚ますモノ供』 その2

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「そういうことか!」
 デルアザラは、相変わらず裏返った声で叫んだ。
「だが、それがわかればどうということはない」
 背中から伸びる触手が突然何本にも増えた。その先端は様々で、鋭利な刃の形状のものもあれば、吸盤のような形をしているものもある。どれにも共通しているのは、その先端から、あのどす黒い液体が滴っているということだった。
「おいあいつ、操兵の背中のあれ狙ってるんじゃないのか?」
 チグリオがナザムを見た。
「大丈夫だ。あれはこっちの使う素材の中でも最高の強度と防蝕性を誇ってる。あんなちゃちなもので破れるもんじゃない」
 ナザムの言葉通り、デルアザラの触手は、操手がおさまっているという円筒を破ることはできなかった。そうする間に、その機体はデルアザラのそばを離れ、群がる生ける屍たちとの戦いに戻っていった。
 夏龍が切り札だったのだろう。デルアザラの軍勢は、神聖騎士団の操兵たちに押し返されていった。
「……まあ、想定の中では一番無難な結果になったか」
 生ける屍たちの大半が排除され、神聖騎士団の操兵たちに囲まれる格好で、デルアザラの鋼鉄の馬車が孤立するのを目にして、ナザムはふうっと安堵の息を吐いた。
「いろいろ言いたいことはあるが、面倒ごとが片付いたんならなによりだ。問題ないなら、早くオレたちを目的の場所まで連れてってくれよ」
 シュウマが言うと、ナザムはふうっと息をついてくるりと振り返り、彼に向き直った。
「ああ、そうだな、そういえば、そうだ」
 自分を見下ろす視線に違和感を覚えながら、それでもシュウマは身に迫った危険に気づかずにいた。
「あなたがたは……?」
 唐突に背後から聞こえた声に、シュウマはびくりと背中を震わせてからおそるおそる振り返った。
 そこに立っていたのは、高原の民らしい身なりをした浅黒い顔の男だった。その後ろには、赤ん坊を抱えた家族らしき姿が見える。
「え、あなたがたこそ」
「わたしたちは、あちらの平原の村の者です。怪物たちが襲ってきて、ここまで逃げてきたのですが」
 とるものもとりあえず、といったところだろうか。寒気と日焼けを防ぐための分厚い着衣は、裾が出るなどしてひどく乱れていた。男の向こうにいる老人などは、固まった血で顔が半分どす黒く染まっている。
「ケガでもしたのかい?」
 腰に手を当てて、ナザムがシュウマ越しで男たちに声をかける。その口調は、まるで世間話でもするかのようだった。
 血まみれの老人が、ぽかんとした顔でナザムを見た。その眉間に、突然短剣の柄が生えていた。
「な、なにを!」
 男が驚いた顔で老人を振り返る。その首筋から、黒い血がしぶいた。首筋を押さえながら、男が一歩、二歩と後ずさる。
「デルアザラも少しは物を考えていたか。気をつけろ、見知った顔以外は全部使徒だ!」
 実際、致命傷を受けたにもかかわらず、男はまんまるに目を見開きながらゆっくりとナザムに向き直った。すでに首から手を離し、真っ黒に染まった両手を前に突き出している。
「その血には気をつけろ。かぶっただけで感染するかもしれない」
 シュウマは息を飲んで男から飛びのいた。慌てて身体中を見やる。幸い、ナザムの切りつけた方向がよかったらしく、しぶいた血は一滴もかかっていない。
「こう見えて、慎重に切ったんだよ。誰にも血がかからないようにな」
「で、でも、よくあの人たちがやられてたって気づいたもんだな」
 シュウマが言うと、ナザムは片目をつぶって見せた。
「見分けなんかつかなかったさ」
 ぎょっとなって見返すシュウマに、ナザムは後ろ腰に佩いていた小剣を音も立てずに引き抜いた。
「まあ、あれがただの避難民でも、おなじことになっただろうな。ここを見られて、生かして返すわけにはいかない。残念だが」
 薄く笑うナザムに、シュウマは初めて恐怖を覚えた。

 ナザムが言うような「治療のできる設備のある場所」なんて存在しないのは、その2をお読みならもうお分かりと思いますが、彼がシュウマやイゼーラたちをここへ連れてきたのは、デルアザラがシュウマたちを侵入者として認識して狙って来ることを知っていたからです。
 要するに体のいい囮ですね。
 というわけで、デルアザラが伏兵を放ってこなければ、シュウマはたぶんあの場で殺されていたんじゃないかと思います。残念ながら、シュウマではナザムの体術にはまったく敵わないので。
 が、状況が変わりました。デルアザラの狙いは、平原の戦闘集団を囮にして、離れた場所で戦況を眺めているナザムをはじめとする調停会議の連中と、もちろん標的でもあるシュウマたちを仕留めることだったわけです。
 さすが(自称)練法師、一応ものは考えてたんですね。

 とはいえ、ナザムの判断が正しかったことは確かだった。
 正体を暴かれた途端、避難民を装った——いや実際避難民ではあったのだろう——デルアザラの使徒たちは、ごうっと咆哮に似た呼気を発しながらシュウマたちにも襲いかかってきた。
 信じられない速度だった。なるほど、生き物として限界を超えた動きをすると、ここまでになるのか。
 呑気にもシュウマがそんなことを思う間にも、白目をむいた男が白い歯をむき出しにしてシュウマの首筋に飛びかかってくる。
 脇から突き出された輝く刃が、その男の頭を真横に貫いた。ナザムだった。
「無事かい?」
 どっと音が響いて、ユキムやチキをかばったイゼーラが振り回した大剣で使徒たちを叩き斬るのが見えた。人だったものの部品が、ばらばらの形でシュウマの近くにも転がってくる。
「悪い! それに触るなよ!」
 シュウマは青ざめた顔で彼女に頷き返し、おそろしい切れ味の小剣を振り回して使徒を切り裂いているナザムに向き直った。
「あ……ありがとうって言っておくよ」
「感謝の必要はない」
 答えてナザムは片目をつぶった。
「それより身を守ることを考えてくれ。万一の時使い物にならないんじゃ、それこそ準備した甲斐がない」
「準備?」
 だが、シュウマの問いかけに、ナザムは答えることができなかった。手強いと判断したのか、使徒たちがいっせいにナザムに向かってきたからである。
 小狡そうな優男という印象のナザムだったが、その体術は恐るべきものだった。イゼーラも一介の鍛冶師にしてはたいしたものだったが、ナザムのそれは比較にならなかった。自然体からいきなり繰り出されるしなりのきいた蹴りは、彼の倍はありそうな大男の腕をへし折り、脇腹まで食い込んで相手を吹っ飛ばした。
 その反動を利用した斬撃で、反対側から向かってくる女の肩口から袈裟懸けに切りつけ、人間なら確実に致命傷になるだろう深い創傷を作り出す。いや、実際生命力の限界まで絞り出す使徒たちですら動きが鈍るほどの出血が傷の中から吹き出した。おそらく、心臓を切り裂いたのだろう。
 しかも、きりきりと回りながら倒れこむ女の血しぶきは、一切シュウマや仲間たちのところには飛んでこなかったのだから、この男がどれほど冷静に計算しながら戦っているかわかるというものだった。
 シュウマはナザムの戦うさまをじっと見つめた。だとすると、あの地下室でイゼーラの攻撃をかわすことも難しくはなかったのではないか?
 いったい、この男はなにを考え、自分たちをどうしようというのだろうか。
 と、突然平原から不気味な音が轟いた。身をかわしながらその方向に目を向けたシュウマには、神聖騎士団の操兵たちが混乱しているように思われた。
 いや、実際先刻まで一糸乱れぬ動きでデルアザラを追い込んでいた操兵たちは、明らかに足並みを乱していた。それどころか、互いに争いあっているように見える。
 仲間に斬りかかっているように見えるのは、さっきデルアザラに攻撃されて操手漕の外殻を吹き飛ばされた機体だった。音はその機体が発しているようだった。
「なんだ、あれ……」
 シュウマがつぶやくと同時に、背後で舌打ちの音が聞こえた。
「デルアザラめ……少しばかりやつを舐めていたようだ」
 襲いかかる敵に対処しながら、ナザムはちらと視線を眼下の平原に向けた。その時だった。
「ナザム!」
 叫んだのはイゼーラだった。一瞬遅く、頭をかばうように振り上げられた左腕に、使徒のむき出しの歯が深く食い込んだ。
 かなりの深傷のはずだったが、ナザムは涼しい顔で相手を振り払った。左腕をもぎ離し、かわりに人体など飴のように切り裂く小剣を、首の付け根のあたりにするりと滑り込ませる。
 それで動きが完全に止まるわけではないが、大量の失血でいままでの動きができなくなったデルアザラの使徒に、ナザムの容赦ない蹴りが食い込んだ。どろどろと黒い血を流しながら、それは急な斜面を転がり落ちていった。
「だ、大丈夫なのか?」
 ナザムは駆け寄るシュウマをきょとんと見返していたが、ややあって急に表情を歪ませると、左腕を抱え込むようにして膝を折った。
「いや……この傷だ。わたしはもうだめだろう。すまないな、最後まで面倒を見られそうにない……」
「ちょ、ちょっと待てよ、じゃあボルトンはどうなるんだ? おれたちは?」
 思わず大声で身を乗り出したシュウマの目の前に、使徒の一体が向かってくる。それを叩き切ったのは駆けつけたイゼーラだった。
「噛まれたのか?」
 尋ねる彼女に、シュウマは頷いて見せた。
「ちくしょう、なんてことだ!」
 イゼーラは顔をしかめ、残り少なくなった使徒たちに向かっていった。
「ど、どうにもならないのかい?」
 顔を青ざめさせたボルトンが、大きな棍棒を握ったままの格好で駆けつけてきた。
「ああ、こうなってはな。すまない。きみを助ける約束だったが」
 ナザムの前で、ボルトンが顔を真っ白にして膝から崩れ落ちるように座りこんだ。それを尻目に、シュウマは眉をひそめて考えを巡らせていた。
 なにかを見落としているような気がする。ナザムの様子に、さっきから違和感を覚えているのだ。しかしその正体がわからない。これを見過ごせば、なにか取り返しのつかないことになるような気がしてならなかった。
「ひどい傷のようだけど、どうして血が出てないんだ?」
 怪訝そうにそう尋ねたのはチグリオだった。
 シュウマは思わず声をあげそうになった。それだ! あれだけの深傷なのに、血が滲んでもいない。だいたい、噛まれた直後の態度もおかしかった。まるで痛みを感じていないかのようではなかったか。
「傷は深いが、傷口は小さい。血管は外れたのかもしれないな。とはいえ、身体にあの黒いのを入れられたことに違いはない。ほら、だんだんまともに物が考えられなくなってきたような気がするよ……」
 その言葉に、ぎょっとなったボルトンが思わず後ずさる。そこへ、敵を倒して引き返してきたイゼーラが声をかけた。
「そりゃあちょうどいい。頭からまっぷたつにしてやるからこっち向いてそこに座りな。なに、一瞬だよ、一瞬」
 ナザムはいくぶん引きつった笑いを浮かべながら、イゼーラに答える。
「い、いや、待ってくれ。言い残すことがあるからな。きみたちにとっても待って損のない話になるだろう」
 イゼーラは涼しい顔で肩をすくめた。
「物、考えられなくなってるんだろ? 混乱した頭ででたらめ吹き込まれれば、むしろそっちが困るしな」
 口ほどには鈍っていない動きで、ナザムはイゼーラの突きつけた大剣の切っ先を飛びのいてかわした。それからゆっくりと後ずさり、崖を背にして立った。
「デルアザラはもうなにもできないと思うが、危険だから近づかない方がいい。それより、神聖騎士団の方だ。気づいてるだろ?」
 イゼーラが鼻で笑った。
「結局、あの黒い血にやられたってことだろ?」
「そうなんだ」
 ナザムはため息交じりに答えた。
「問題は、神聖騎士たち同士は攻撃ができないってことなんだ。乱戦時でも同士討ちを防ぐための刷り込みだったんだが……完全に裏目に出たようだ」
「じゃあ、あの一機だけがやりたい放題ってことか?」
 シュウマが、咆哮を上げつつ味方に切りつけて回る操兵に視線を向ける。
「ひとつだけ方法がある。きみたちで、やるんだ」
「はあ?」
 黒い血を拭った刀身を担ぎながら、イゼーラが半笑いでナザムを見た。
「知るか。おまえらの操兵が全滅しようがどうしようが、あたしたちには関係のないことだね」
「そう言うなよ。わたしがいなくなった後は、あの神聖騎士団の連中が役目を引き継いでくれるだろう。それだけでも、きみたちが動く理由になるだろ?」
 ナザムは答えて寂しげに笑った。
 さすがにイゼーラも言葉に詰まったが、ナザムをにらみつけながらさらに続けた。
「そんなこと言われたって、だいいち、あたしたちにはろくな武器もないんだ。アーカルマは取り上げられちまったし」
「まあ、きみたちにそのまんま預けてたんじゃ、なにをされるかわからなかったからね。とはいえ、なにか役に立つんじゃないかと思って、ここに運んできてあるってわけでね」
 言いながらナザムが見やった先の岩場には、いつの間にそこに置かれていたのか、バル・アーカルマが片膝をついた格好で駐機していた。
 全員が驚きの表情でふたたびナザムに顔を向けた時には、すでにナザムの姿はそこにはなかった。
 シュウマがナザムの立っていた場所から身を乗り出すと、100リート以上はあるだろう断崖の下に、漂うように遠ざかる人影が見えた。
「ああ……」
「気にすることはないさ」
 シュウマの背中からイゼーラの声が聞こえた。強がる調子ではあったが、その声には憐れみの響きが感じられた。

 張り出した崖のすぐ下に、少し引っ込んだ形で飛び出している岩場の端にしがみついて、ナザムは自分を引っ張り上げる男の手を握っていた。
「どうしたんです? らしくないですね、旦那」
 男はスラックだった。斧の操兵ツァン・バーンの操手であり、例の水の遺跡でも横取りを狙ってイゼーラたちに襲いかかったあの男である。
 防寒用の灰色の毛布を体に巻きつけ、顔も半分覆ってはいるが、もし、イゼーラやシュウマがその声を聞いていたら、姿を見なくても相手の正体に気づいていただろう。
「いや、まあちょうどよかったさ。あんなのに噛まれたなんて、恥ずかしくて穴があったら入りたいところだが」
 スラックは、自分の掴んだ腕にはっきりと歯型を認めると、ぎょっとなって身を引いた。思わず手も振りほどきそうになったが、逆にナザムが掴んで放さなかった。
「安心しろ。こいつは生身の腕じゃない。それより、投げ落としたやつの血は体につかなかっただろうな?」
 スラックはナザムを岩場の奥に引っ張り上げ、両手をあげて表裏をひらひらとして見せた。
「そこは注意された通りに。厄介な術を使いますね、そのデルアザラとかいうやつは」
 岩場の上に座り込みながら、ナザムはちっちと舌を鳴らした。
「術じゃない、技術と呼んでくれ。どうもその響きには、まじないの類と同じものを感じるんでね」
 スラックも並んで腰を下ろしながら、もう一度しげしげとナザムの左腕を見た。
「——それにしても見分けがつきませんね。義手、ですか? それも組織の技術で?」
「まあ、そうさ……注意しておくが、あんまりわたしの後ろにいる組織のことは口にしないほうがいいぞ。上の方の耳に入ったら、たぶんあんまりいい顔はされないし、わたし自身口の軽い人間をいつまでも使う気はないんでね」
 スラックは、苦笑まじりに口を閉じて人差し指を立てた。
「沈黙は金、ってやつですかね」
 ナザムはそれには答えず、黙って肩をすくめた。

 ナザムが噛まれたのは完全に彼の油断です。
 調停会議の送り込んだ改造人間(笑)である彼は、左腕が本来のものと見分けがつかないほどの精巧な義手になっています。この腕は単に自在に動かせるだけではなく、人間の数倍の膂力を持つほか、さまざまな秘密の機能が仕込まれていて、ナザムの活動を助けています。
 地下室でイゼーラに襲いかかられた時も、実は十分対応できたんですが、このシナリオを思いついてなすがままにされていたようです。殺されることも覚悟の上で。この肚の据わり方は普通じゃないですが、実際この人、自分の命だけじゃなくて他人の命も枯葉のように軽く捉えている、とても嫌な人物です。
 まあ、でなきゃ、あのおぞましい神聖騎士団の連中の正体を知っていても平然としていたり、困っている(ように見えた)避難民に向けてなんの迷いもなく短剣を投げつけるとか、どこか人間性に欠ける反応を見せるはずもありません。
 さて、その彼が、死んだふりをして自ら退場して見せました。シュウマたちに下駄を預けた格好にして、この場を収拾させようと考えたようです。
 ではなぜそんなことをしたのか。その辺は続きでどうぞ。

「うん、完璧に整備してある。水も十分だ。いけそうだよ」
 アーカルマの操手槽に潜り込んでいたイゼーラが、身を乗り出して下のシュウマに声をかけた。
「で、でもさ、相手はよくわからないけど砲まで持ってる機体だよ? うまくやれるとは思えないけどなあ」
「やれる、やれないじゃない。やるんだよ」
 イゼーラは冷たくぴしゃりとそれだけ言って、シュウマに譲るようにアーカルマから滑り降りた。
「でなきゃ、ボルトンもみんなも症状が出てひどいことになる」
「それだけどさ、あのナザムの言ってること、どうも信用できない気がするんだ。ボルトンだって全然元気だしさ、誰か、体調がおかしい人間、いるかい?」
 シュウマの言葉に、チグリオやユキム、チキが顔を見合わせ、首をかしげる。
「だろう?」
「ぼ、ぼくはよくわからないな……ちょっとお腹が痛い気もするし、息も切れるし」
 おどおどとボルトンが口をはさむ。
「ここ、高い場所だからね、空気が薄いから息が苦しいのはみんな一緒だと思うよ」
 そう答えながらも、シュウマはアーカルマの背中をよじ登った。
「まあ、すべてが終わってからもう一度話そう。いまは確かにナザムのいう通りにしておくべきなんだろうな」
 それでも残る割り切れなさに、シュウマは音を立ててアーカルマの艙口を閉じる。
「しかし、どうやってあれを倒せばいい?」
 シュウマは映像盤の向こうに拡大された映像に目をやりながら、唸るようにそう言った。
 ナザムが神聖騎士と呼んだ操兵たちは、味方からの攻撃には無反応だった。そのため、すでに3体ほどが倒されている。残った機体はなんとか攻撃から逃れてはいるが、反撃することができず、ただ身をかわすだけなのだった。
 狂乱したように剣を振り回す機体は、見境なく視界に入った相手に斬りかかっているようだった。そういう意味では、その機体は少なくとも本来の能力を発揮しきれていないようだったが、それでも動きは驚くほど速い。救いは、操兵自体からは黒い血が流れる心配がないことくらいか。操兵にも血のような液体は流れているが、あれはある種の油と鉱物を主体にした化合物の混合液だと聞いている。
 なんにせよ、飛び道具を持たないアーカルマがあれを倒そうとするなら、内懐に飛び込むしかないように思えたが、どう考えても無傷であれに近づくのは不可能に思えた。
「止めるならできるだろ?」
 突然間近で響いたイゼーラの声に、シュウマははっと右肩の方を見た。そこには、艙口脇の手すりにつかまった女鍛冶師の姿があった。
「えっ、イゼーラ?」
「こっちは貴重な聖刻石を使うんだ、無駄にさせたらただじゃおかないよ」
 シュウマの声には答えず、イゼーラは髪飾りの位置を左手で確かめた。聖刻石を燃料に、大力を引き出す聖刻器である。もし、戦いの途中でこれが外れたら、そうでなくても無謀なイゼーラの試みが、ほぼ絶望的なものになる。
「さあ、やつらに音を売りに行くよ!」
 シュウマは苦笑を浮かべ、足踏桿を踏み込んだ。

 突進するアーカルマを目にすると、神聖騎士たちはその行く手を塞ごうとした。シュウマは拡声器を開くと、腹の底からこう叫んだ。
「ナザム卿は名誉の死を遂げられた! われらはその意志を継ぎ、敵に毒され、われを失った汝らの仲間を止めるために来た! 道を開けろ!」
 イゼーラは、突然の大音響に思わず耳を塞いで顔をしかめたが、文句を言うより早く操兵たちが道を譲るのを見ると、ひゅうっと口笛を吹いた。
「やるじゃないか」
「そっちはそっちのやることに集中してて!」
 シュウマはさらにアーカルマの足を加速させた。
 件の操兵はすぐ目の前に迫っていた。相変わらずわれを失ったように暴れまわっている。倒す相手が至近距離にいないため、ただ手足を振り回しているだけに見えたが、アーカルマの姿を認めた途端、思ったよりも的確な動きで手にした剣を突き出してきた。
「ちくしょう!」
 左右の操縦桿を同時に左に倒し、左の足踏桿を思い切り踏み込む。アーカルマはその操作に答えて、機体を大きく左に傾がせ、ほぼ仮面を狙って突き出された切っ先をかわしていた。そうして、そのまま足を緩めず、相手の胴体に体当たりしながらしがみつかせる。
 次の瞬間、映像盤の向こうに、宙を舞うイゼーラの姿が滑り込んできた。おそらく相手の一撃をかわしたときに、アーカルマの肩を蹴って飛びかかっていったのだろう。
 彼女は大剣をふりかざし、相手操兵の仮面に向かって大きく叩きつけた。
 がん!
 アーカルマの胸板越しにはっきりと聞こえるほど、大きな打撃音が響いた。
 仮面を守る面頬が大きくひしゃげ、衝撃を受けたせいか、操兵が大きく姿勢を揺らがせる。仮面は操兵の力の源である。ここに打撃を受ければ、どんなに強力な操兵でも無事では済まなかった。
「やった!」
 だが、そのまま倒れるかに思われた操兵は、不気味な咆哮とともに仰向けになりかかった状態から無理やり機体を引き起こした。過熱した筋肉筒のあたりから、猛烈に蒸気を吹き出して、時折ぶち、ぶちっとそこかしこでなにかが引きちぎれる音を立てながら。筋肉筒に過剰な出力を要求した結果、護謨の帯が切れているのだった。
 それでも、その操兵は恐ろしい力でアーカルマを突き放し、剣を突き立てようとしてきた。
 シュウマはとっさに機体を沈ませ、叩きつけられる剣をぎりぎりでかわす。
「仮面を思いっきり殴られたのに……普通、操手が気絶するだろ」
 操兵と操手は精神的につながっている。ことに、こういう特殊な機体ではその結びつきは強固なはずだった。イゼーラの一撃は、普通の操兵でも身動き取れなくするには十分なものだっだ。
「もう一度だ!」
 背中にイゼーラが取り付く感覚があった。シュウマも、やはりアーカルマと意識を共有している。昔話の操兵のように、人間と完全に精神レベルで重なり合い、いわゆる人機一体などという状態に至るようなものではないものの、それでもアーカルマに不調が起こればそれとわかるし、機体の感覚がなんとなく伝わってはきている。
 シュウマはうなずいて、ふたたび敵操兵に立ち向かっていった。
「たぶん背中の操手が、無理やり操兵を動かしてるんだ。ほっとけば限界が来るだろうけど」
 シュウマの言葉に、イゼーラが高揚した声で答える。
「そんなの待ってられるか! その前にこっちがやられるかもしれないんだ、行くよ!」
 幸い、正気を失っている相手には、こちらがやろうとしていることがわかっていないようだった。背後に隠れるイゼーラを警戒するでもなく、アーカルマにまっすぐ向き直る。
 シュウマはアーカルマの腕を前に突き出し、振り下ろされる剣の柄のあたりを受け止めた。刹那、艙口の手すりを駆け上がる感触があり、剣を振りかぶったイゼーラが前方に飛ぶ。
「えっ」
 思わず間抜けな声を発してシュウマが固まった。どう考えても無防備に思えた操兵の頭部を遮って、細長い腕が伸びてきたからである。それは宙を舞うイゼーラの細い胴を、器用に空中でつかみ取っていた。
「このっ、くそ!」
 骨組みだけでできているような細い腕だったが、イゼーラが渾身の力を込めてもびくともしない。そうこうするうち、髪飾りに灯っていた輝きが次第に明るさを失っていった。
 シュウマはとっさにイゼーラを捉えた相手の腕をつかんでいた。そうして機体を密着させ、相手を身動き取れなくする。
 だが、相手操兵の力は異常だった。足を踏みつけ、空いた左腕を胴体に巻きつけるようにして動きを止めているにもかかわらず、アーカルマの関節が悲鳴をあげつつあった。
「こ、こいつ!」
「そのまま動きを止めていてくれ!」
 不意に声が聞こえた。チグリオだった。
 声の方向に目をやったシュウマは、獣のような素早さで、敵操兵の背後に回り込む小柄な人影を目にしていた。大ぶりの鉈を口にくわえ、身動き取れない操兵の足元から器用に機体をよじ登っていく。
 一瞬間をおいて、操兵の背部から黒い飛沫が噴き出すのが見えた。どうやら、操手がおさまってる金属筒へ通じる配管を叩き切ったらしい。
「チグリオ!」
 こそ泥はすぐに操兵の背中から姿をあらわした。血で汚れてはいないようだった。彼はシュウマに向かって親指を立てて見せると、腰のあたりからのびた副腕をよじ登り、鉈でイゼーラをつかんでいる指先の固定部を叩き壊した。
「いいぞ!」
 イゼーラとチグリオが同時に操兵から飛び降りる。ほぼ同時に、シュウマはアーカルマを敵から引き離し、左脚で相手を思い切り蹴飛ばした。
 それでも、その機体はなんとか数歩退いただけで踏みとどまっていた。だが、操手へ栄養や呼吸のための空気を送り込む導管を断ち切られては、それ以上力を出すことができなかった。
 棒立ちになった機体を叩き斬るのは、剣術の稽古よりも簡単だった。操手ごと袈裟懸けに切られた機体は、そのままずるずると斜めにずれて上半身が地面に転がった。

 デルアザラは調停会議の派遣した操兵たちに背を向け、這々の態でその場を逃げ出していた。あの憎いナザムを仕留めたらしいことはわかったが、その程度ではこの屈辱を晴らせるものではなかった。
「くそう、くそう、くそう、今度はやつらを出し抜けるはずだったのに!」
 結局、〈水龍の砦〉の深くまで侵入し、あまつさえあの禁断の仮面に触れるまでやってのけた連中を手に入れることはできなかった。
 他の連中、特に機竜使いのポーデルは、デルアザラの失敗を知って笑っていることだろう。そして、対策を立て、じっくりと連中を狙うに違いない。
 どうしてくれよう、どうしてくれよう。
 ぎりぎりと唇を噛み締めながら、疾走する馬車の上でデルアザラは懊悩を隠そうとしなかった。

『感謝している。お前たちの働きは、われらの主に報告しておこう』
 神聖騎士の一体が進み出て、イゼーラたちの前に立っていた。
「そういうのはいいから、あたしたちの病気を治すっていう場所に連れてってくれないか?」
『病気?』
「強い魔力に触れたせいで、身体が壊れ始めてるっていうんだよ。あのナザムがさ」
 長い沈黙があり、操兵は大きくかぶりを振った。
『知らぬな。われらはそうした事柄についてあまり詳しくないのだ』
「い、いやだって、ナザムがあんたたちが自分の役目を引き継いでくれるって——」
 顔を真っ白にしたボルトンが、身を乗り出して叫んだ。
『ナザム卿はこの場の指揮者にすぎなかった。それ以外の申し送りは受けておらぬ。だが、そなたらの功績には答えねばならぬだろう。その様子をみれば、急を要するように思える。それゆえ、われがそなたらに随伴し、残る者たちは急ぎ駐屯地に戻って指示を仰ぐこととする。それではどうか?』
「まあ、悪くはないね。あんたナザムよりよっぽど話がわかるじゃない」
 神聖騎士は立ち上がり、礼に則ったお辞儀をして見せた。もっとも、それが正式のものだとわかったのは、その状況を黙って見ているしかなかったユキムだけだったが。
『では早速行こう。ナザムから聞いたという話から推測するに、目指す場所は封都のはず。しかもこの近くとなればおそらくはデルアザラの本拠であろう』
「え……じゃ、じゃあ、またあれとやりあうことになるの?」
 シュウマが言うと、神聖騎士は重々しくうなずいた。
『いかにも。だが、いずれあの穢れた者とは決着をつけねばならぬ。これはいい機会と思うがどうか』
「いやいい機会って、そりゃああんたはそうかもしれないけど……」
 シュウマのぼやき声を遮るように、チキが叫んだ。
「ねえ、あなた、名前は?」
 神聖騎士は驚いたようにチキに向かって顔を向け、こう答えた。
『わが名はバナル。バナル・アウ・クロオと言う。古の都を守護したという、偉大なる聖者の名を受け継ぐ者だ。よろしく頼む』

 な、なんかすいません。
 というわけで、ほぼ月刊ペースになってしまった『聖刻ノ猟手』第1話終了です。話がとっちらかって、むしろ発散してますが、TRPGのシナリオとしてみれば、まあこんなものかと。
 案外舞台設定がまっすぐなので、初心者向けでもいけそうな気がしないでもないですが、いやそういう調子で四操兵シナリオ作っちゃったからなあ……うーん。

 ええと、ナザムは死んだふりで退場してますが、当然隠れてイゼーラやシュウマたちの動向を追っています。スラックはナザムに以前から雇われていて、例の遺跡に現れたのはナザムの依頼があったからです。
 今回も、どうも調停会議に隠れて動いていた部分があったようで、いつもの手下を使わずにスラックにしたのは、なにか考えがあってのことなのでしょう。彼も会議に絶対の忠誠を誓ってるってわけではないようです。

 この後、調停会議が神の掌とひとまとめにして警戒している自称練法師たちが、シュウマたちを狙って動き出すことになります。デルアザラの占拠した封都やその周辺を舞台に、かなり破滅的な事件が巻き起こることになるのですが、それはまた別の話。

 以上、お粗末様でした。

 かくして、イゼーラとシュウマの出会いから始まった物語は、予想外の展開とともにゴナ砂漠の奥深くへと向かうことになる。
 ナザムが〈神の掌〉と呼ぶ者たちに狙われることになったとはつゆ知らぬ一行の前には、果たしてどのような旅路が待ち受けるのだろうか。

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