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 聖刻ノ猟手・解説編 その2

 これは、クラウドファンディング企画『聖刻の大地』に掲載された『聖刻ノ猟手』について、その内容から背景設定などを解説するものです。
 今回は、一行がさらに新しい人間たちと出会い、もたらされた儲け話に乗って遺跡探索に赴くまでの話です。
 ページ数の制約もあって、本当は書くべきエピソードのいくつかを完全に落としてしまっていますが、そこも加えて解説しましょう。

 かくして同行することとなった一行は、シュウマ操るアーカルマを先頭に街道を東へ行く。
 後に続くは、駄馬に引かれた箱馬車一台。追っ手から身を隠すため、ユキムが宿場で手に入れたというぼろ車だ。
 もっとも、歩かずに済む分、イゼーラは上機嫌。鼻歌交じりで御者台に。

 一行は、鍛冶屋街を離れて少し離れた街道沿いの宿の集まっている場所に向かっています。宿場町の本体に向かわなかったのは、治安がいまひとつだったから。イゼーラとシュウマは覚悟がありますが、チキとユキムはどう見ても浮世離れした体なので。
 治安のいい場所は当然お金がかかりますが、そこはユキムがお金を持っていたおかげです。これでシュウマは黙り込み、イゼーラはドヤ顔になっております。まあだからって、ユキムたちを怪しまない理由にはならないわけですが。
 この時点で、シュウマ用の治具は完成しています。あんまり時間がなかったので、アーカルマはシュウマ以外には乗りにくい機体になってしまいました。

 傍若無人が人の形をしているなら、チキこそまさにそれだろう。
 チキとはユキムが妹と言ってはばからない小娘のことだ。だがどう見ても似ていない。だいたい年齢が離れすぎている。
 ユキムが明らかに嘘をついているのも気に入らないが、それ以上に問題はあの娘だった。
 今日もチキは氷水が飲みたいと要求してユキムを困らせている。氷水という言葉はシュウマには初耳だったが、どうやら寒さで水が固まったものらしい。
 水が固まる寒さがどのくらいか、シュウマにはさっぱりわからなかったが、とにかくチキがありえない無茶を言っていることだけはよくわかった。
「氷水! それがなきゃ、ここから一歩も動かない!」
 馬車から飛び出したチキが、砂だらけの道の上で大の字になって喚き散らす。

 そもそも年中高温で乾燥しきっているヤカ・カグラ地方には、氷そのものが存在しません。どこかの山の頂上とか、途中の洞窟とか探ればないことはないかもしれませんが、現実的でないのはおわかりでしょう。
 それは西の平原でも似たようなもので、少なくとも比較的気候の温暖な街道周辺で氷を手に入れるのは至難の技です。ちょっと外れに行けば、寒冷な場所もあるのでなんとかなるでしょうが。実際、王家の一人娘だったチキは、人と金を惜しまなければ自分用の氷を手に入れるのは雑作もなかったでしょう。
 チキは決して頭が悪いわけではありません。自分の置かれた状況も、半分以上は把握していると思われます。にもかかわらずこんな無茶を言ってユキムを困らせるのは、じつはユキムに心を許しているからでしょう。甘えてるんですね。それで相手がどれほど不快に思うか、わかっていないわけでもないのでしょうが、自分の置かれた境遇からくるストレスのせいで、いつにも増してわがままを言ってるわけです。
 まあ、水源組合に特別にコネがあって、しかるべき報酬を差し出せば氷ひと抱えくらいは手に入るはずです(組合には練法師を雇っているところもあるのです……いや、限りあるリソースを使うことになる練法で、ではなく、もっと物理的な工夫で氷を作るはずですが。彼らは科学者でもあるので)が、そのリスクを考えるとこれもまた現実的ではありません。
 とはいえ、水源組合は、このくらいのことは普通にできる組織だということを覚えておいていただけるとこれ幸い。

「だ、誰か!」
 と、そこへ、ごろごろと重い音とともに三頭建ての馬車が走ってくる。その後ろから、足をもつれさせながら、いまの声の主が追いかけているのが見える。
「水泥棒!」
 見れば、馬たちが引いているのは馬車というより荷車で、その上には大きな樽が横倒しでくくりつけてある。荷車の前では、敏捷(はしこ)そうな少年が手綱を握って座っていた。
「シュウマ!」
 イゼーラの声に応じて、シュウマはアーカルマを荷車の前に立ちはだからせる。
「へっ! そんなの――」
 荷車の少年が、手綱を巧みに操って、アーカルマをかわそうとしたその時。街道の真ん中から飛び出していた大きな石に乗り上げて、荷車が大きく跳ね上がる。
 ばきばきと何かが砕ける音がして、荷車は横倒しになった。樽が割れたのだろう、ざっと音を立てて水が地面に広がり、吸い込まれていく。
「ああ……なんてことだ」
 荷車はすぐにシュウマが起こしたものの、水は大半が流れてしまった後だった。
 その前でへたり込むのは、身体つきに似合わぬ幼顔の少年。背中に大きな袋を背負い、ほとんど残らぬ水を前にため息を漏らす。
「せっかく思う存分洗濯(ヽヽ)できると思ったのに……」
「は?」
 声を発したのはイゼーラ。馬車から降りたユキムも、声には出さないが同じ顔。するとやっぱり、洗濯と聞こえたのはシュウマの空耳ではなかったらしい。
 その、なりの大きい少年はボルトンといった。尋ねると、ボルトンは洗濯の意義と衛生の大切さを滔々と語り出す。
「半年かかって貯めたお金で買ったのに」

 このボルトンですが、じつは故郷が不衛生による感染症で全滅していたのです。家族を全員惨たらしい病で亡くした彼は、少しでも汚れたものを見つけると、ありとあらゆる手段で消毒して、世界から永遠にその感染症を滅ぼしてやろうと心に決めた……わけがありません。単に汚れが嫌いなんだと思います。洗った後の爽快感が大好きというか。
 そういう人間ならまあ割とたくさんいると思うし、おかしなことでもないと思うんですが、そのために半年働いて水を買ったってのは、もう正気を疑うレベルですよね。ただの変態と言っても誰も怒らないと思います。
 それはともかく、ボルトンは街道から離れた水源の豊富な地方の出身です。水は見慣れていて、なので泳ぎも得意です。そもそも頻繁に水で洗い物をしようなんて考えるのは、この周辺の出身ではないなによりの証拠です。
 おそらく、彼は東のアグ河流域の出なんだと思います。なので言葉は東方訛りでしょう。文中には出てきてませんが。話が東方人の関わる方向に向かえば、いずれ彼の言葉や人種的特徴が役に立つこともあるかもしれません。
 あと、彼が本当の意味で水の価値を理解していないのは、街道を水樽乗せた荷馬車で護衛もなしに移動していたことからもおわかりと思います。見ただけでは中身はわからないかもしれないけど、買うときは大騒ぎになっただろうし、そうなればそれを狙って近づいてくる人間はひとりやふたりではなかったはず。
 そして実際、あっという間に盗まれてしまったわけですが。

 縛り上げられた盗人がしたり顔になる。
「な? 正気を疑う話だろ? だからおれが有効に使ってやろうと思ったのさ」
 盗人の名前はチグリオ。イゼーラが、役人のもとに突き出すことに決めると、急に態度を変えて懇願する。
「儲け話?」
 胡散臭げに聞き返すイゼーラに、チグリオは真顔で頷いた。
「このすぐそばに、お宝が眠ってる場所があるんだ。この水もさ、そこに行くための操兵持ち雇うのに使うつもりでさ」
「あのね、こんな街道筋に近い場所に、そんなところもう残ってないよ」
 だがチグリオは首を振る。
「盲点ってのはあってさ。散々盗掘された昔の封都の宝物庫を、逆に使ってたやつがいるんだよ」
 すったもんだの挙句、結局一行はチグリオの案内でその忘れられた封都に向かうことになった。一番の理由は、チキが行きたいと言い出したからなのだが。

 チグリオはどこにでもいる目端のきく盗人です。それ以上でもそれ以下でもないと思います。ただ、目端がききすぎて、厄介ごとに巻き込まれやすいタイプかもしれません。救いは、彼がそういったトラブルを楽しむ傾向にある人間だということでしょうか(それは救いなのか?)。
 ある意味ボルトンがついていたのは、途中で操兵持ちの無法者に襲われて殺されていても不思議ではなかった状況で、そういう連中が手を出すより早くチグリオが馬車ごと持っていってくれたことでしょう。水はほとんど失われましたが、命は助かりましたし。本人は災難だとしか思ってないのですが、実際は幸運以外の何物でもなかったのでした。
 さて、チグリオは目端がきくので、水源組合の連中が慎重に隠していた情報にアクセスしてしまいました。そう、じつは水源組合は、この遺跡の存在を知っていたのです。まあ当然ですが。
 逆に、彼らが本気で隠そうとしていなければ、水をほぼ無補給で操兵を持っていける距離に、そんな場所があることを皆が知らないはずもありません。散歩してたって見つかるでしょう、普通。
 もしかしたら、この話を読まれた方の中には、「こんな安易な設定、適当に始めたTRPGのセッションだって出さないぞ」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。まあそれはまさにその通りで、本文だけならなんとも安易な話に見えても仕方ありません。
 こんな風に解説をつけているのも、言い訳と言われればその通りなんですが、一応こういう背景設定があったんだということはお知りおきくださいませ。

(続く)

 聖刻ノ猟手・解説編 その4
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