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 聖刻ノ猟手・解説編 その5

 1
 大岩の積み重なった岩室の中から、どうどうと音をたてて水流が流れ出る。その様子を近くの岩場の上で見下ろしながら、唇にひきつれのあるその男は、苦虫を噛み潰した顔になった。
「なんて悪運の強いやつらだ……あれから逃げ切ったのを見るのは初めてだな」
 薄い皮革の胴衣の端を引っ張りながら、男は短くちっちっと舌打ちをした。
「しかしそうなると、少々ことが厄介になるな。〈神の掌(かみのて)〉の連中が知ったら、街道筋はちょっとした騒ぎになるだろう。見境がないからな、やつら」
「閣下」
 男は、背後に姿を見せた灰色の着衣に身を包んだ人影に、前を向いたままうなずいて見せた。顔を上げたその男は、のっぺりとした顔をした、これといって特徴の見当たらない人物だった。おそらく、目を切って数呼吸おけば、すっかり顔つきを忘れてしまうだろう。
「南の封都に動きがございます」
「もうかよ。南といえば、デルアザラの領域だな? もう半世紀も音沙汰がないから、とっくにくたばったと思ってたが」
「かの者は、不死の法を手に入れたとか」
 閣下と呼ばれた男は、灰色の男に向かって顔をしかめて見せた。
「太古の術のまねごとさ。つまらん手品を見せられても、こっちは欠伸しか出ないな。背中にでっかい水槽を背負って、その中身がつきたら灰になっちまうような不老不死なんか願い下げだね……まあ、そんなことはどうでもいいんだが」
 灰色の男は、小さく首をかしげるようにしてたずねた。
「いかがいたしましょう?」
「デルアザラがここらに来るまで、何日かかかるはずだ。あの生ける屍が死の呪いを解き放つ前に、お引き取り願う必要があるだろうな。普通に説得できればいいんだが、それはまあ無理だろうから、こっちも出すものを出さざるをえないか」
「神官たちは閣下のご命令を待っておりますよ」
「ああ」
 閣下と呼ばれた男は天を仰いだ。
「やつらと不浄の術師どもをぶつけたら、花の香りでもふりまいて、きれいさっぱり消えてくれれば最高なんだがなあ!」
 そう答えてから、彼はぺたりと岩の上に腰を下ろし、右手の手首から先をひらひらと振って背後の人物にこう続けた。
「まあ、神官どもを使うしかないだろうな。調停会議神聖騎士第三分隊に出動命令を。別命あるまで、境界地域で待機と伝えろ」
 灰色の男は深く頭を下げると、現れた時同様に音もなくその場を離れていった。
「さてさて面倒なことになってきたぞ。あの連中にも、責任は取ってもらわなきゃな。せっかく鎮まりつつある大地に混沌を解き放つようなはめになったら、調停会議の沽券にかかわる」
 男はそうつぶやいてから、膝の上で頬杖をついて無言で眼下の岩室を見た。
 蛇のように隙間から流れ出ていた水流は、いつの間にかその勢いを弱め、するするとその裡へと引っ込んでいった。

「聖刻日記」なんかでも書いてますが、この時代の遺跡が手付かずということはまずありません。多くの領域は探索しつくされ、未知のものはほとんど残っていないからです。南方や北方は知りませんが。
 というわけで、こうした遺跡の所有権をめぐっては、過去に壮絶な抗争が繰り広げられてきました。
 封都などはツキヨミを追い出し、現在の主人に落ち着くまでに大変な戦いがあったと考えられています。考えられているというのは、こうした人里離れた場所での出来事は、まずまともに記録が残されていないからです。それでも、たぶんそうだろうとされているのは、生き残ったツキヨミの証言と、実際に戦闘の痕跡が発見されているからです。
 さて、この水の遺跡ももちろんそうした洗礼を経て現在に至ります。宿場に近い立地なので、ここを巡る戦いは相当に壮絶だったと思われますが、それ自体は相当昔のことなので、現在はすっかり忘れ去られています(某組織の暗躍もあって)。
 もちろん、こんな場所にありますから、噂は常に流れていて、それにひきつけられてやってくる人間も絶えません。その度に、そうした連中は何らかの方法で追い払われたり、命を落としたりして、噂以上の情報の拡散は防がれてきたようです。

 さて、この遺跡の権利を主張する連中は複数存在するようです。
 そのひとりが南の封都を根拠地とするデルアザラという人物(おそらく練法師)です。他の競合者の手前、自分の勢力をこの場所に置くことはできないものの、何らかの方法で遺跡の異常を感知する手段を持っていて、他の勢力によるものだった場合、いつでもここで戦争を再開できる準備をしているのでしょう。
 で、ここの戦いをいったんおさめさせたのが〈調停会議〉の連中です。彼らは遺跡に対する権利を一切主張しないかわり、監視者を置いて保全を行なっています。おそらく、そうした活動はここだけのものではないのでしょう。
 このことからだけでも、調停会議の力は中途半端なものではないことがわかります。
 では、彼らは具体的にどんな力を持っているのか。

 さて、イゼーラたちが砂漠の遺跡を命からがら逃れてその数日後。
 ようやくドウシャの町に帰り着いた一行は、その外れの安宿で、束の間の安息を得ていた。
「おい」
 大部屋の中央でだらしなく横になっているチグリオに、イゼーラが険悪な顔で声をかける。
「もとをただせばおまえの適当な情報が全部悪いんだ。それがなんでそんなところで堂々としている?」
 腕をついて身を起こしたチグリオが、にやにや笑いを浮かべながらそれに答える。
「でもオレは嘘はついてないぜ?」
「隠し事はしてたろ? あんな危ないものがあるなんて、知らないはずがない」
「それが全然」
 チグリオ、肩をすくめて首を振る。つかつかと歩み寄ったイゼーラは、小男の襟首をつかんで引きずり起こした。その膂力はさすがに鍛冶屋。こそ泥は目を白黒させながら、空中につり上げられた姿勢で手足をバタバタさせた。
「さしずめ、あたしたちを囮にして、自分だけお宝せしめようって腹だったんだろう? あんたらしいじゃないの」
「や、やめましょうよう、死んじゃいますよー」
 おどおどと止めに入るボルトンに、イゼーラはしかめた顔を向ける。
「あんた、こいつあんたの水を盗んでダメにしたやつだよ? どうしてかばう気になるのさ」
「そりゃ、目の前で人が酷い目にあうの、見たくないですよ……」
 困り顔で俯くボルトンに、チグリオを放り投げるように解放してから、イゼーラは腰に手を当て呆れ声で答えた。
「あのね、みんなこいつに殺されかけたんだよ? なんてまあお人好しな」
「みんなイゼーラみたいに短気じゃないんだよ」
 シュウマの声に、鬼の形相で振り返るイゼーラ。
「あんたね」
「わざわざ痛めつけることはないだろっての。でも、ここにはいて欲しくないよね」
 シュウマが冷たい目で言い放つと、チグリオはにやりとなって、膝のあたりの埃を払いながら立ち上がった。
「やれやれ、もうちょっと骨休めができるって踏んだんだけどな。じゃあま、厄介者は去ろうかね!」
 目一杯の声でそう言いながら、戸口へと向かうチグリオの背中はどこかふらついているように見えた。
「おっと」
 開いた扉の向こうには、唇の右あたりにひきつれた古傷のある背の高い男が立っていた。男は短い舌打ちをしながら、短い革の胴衣の端を引っ張った。
「勝手に出て行ってもらっちゃあ困るなあ」
 男は服の上からもわかるほどの痩せぎすで、ちっとも凄みが感じられなかった。剣呑な顔をしたイゼーラが、ゆっくりと男に近づいていく。
「あんたなに? いきなり人の部屋来てなに言ってる?」
「なにって、言った通りのことさ。いろんな事情が絡んでてね、ここから出て欲しくないんだな」
 男がそう言ってにやりとなる。同時に、その脇からどっと大柄な男たちが室内に飛び込んできた。
「あれ、あんたたち、水源組合の……」
 チグリオが驚き顔で見返すところを、素早く駆け寄った闖入者のひとりが、その細い腕を後ろ手にねじり上げる。
「あいたたた、なにすんだよ! あんたらに逆らうわけないだろう!」
「すまんな。こうしろってお達しなんだ」
「ざけんじゃないよ! なんだってんだ、こいつら」
 素早く近づいたシュウマが、いきり立つイゼーラの背後からささやく。
「だめだよ、こいつら水源組合の用心棒だ。手を出してもいいことないよ」
 だが、イゼーラはおさまりがつかないらしい。まだ下ろしてなかった背中の剣に手をかけて、他の人間を押さえつけにかかる水源組合の男たちを睨みつける。
「やめろって!」
 シュウマは思い切り背伸びして、イゼーラの耳をつかんで大声を上げる。
 頭蓋骨の中で反響するような叫び声に、さしものイゼーラもびくりと動きを止めた。たちまちそのまわりを数人の男が取り囲み、両手を後ろに回されて手錠をかけられる。
「シュウマ、ちくしょう!」
「しょうがないだろ! 組合に睨まれて街道筋で生きていけると思ってんのか!」
「ここまで組合なんか関係なしにやってきたんだ! なんとかなるさ!」
「アーカルマの冷却水はからっけつなんだぞ! 組合に頭下げなきゃ、あのでっかい水槽に一滴だって入れられないんだ! わかってるのか!」
「あー……申し訳ないんだが、いいかい?」
 唇のひきつれた男が、困り顔でふたりを見ている。
「なんだ!」
「なんだよ!」
 おそろしく呼吸の合ったイゼーラとシュウマの反応に、なぜか男は気圧されたように顔をしかめた。
「まあなんだ、その、きみたちにはいろいろ聞きたいことがあってね」
「あ、あの、わたしたちどうなるんでしょうか……」
 かすかに震える声でユキムが尋ねると、男は困り顔で彼女と、隣でふてくされているチキを見た。
「あー、あなたたちはちょっと扱いを変えなきゃならないかもしれない。ブシャクの方から、身柄引き渡しの要請が来ているからね」
「それは誰の名前で?」
 ユキムの問いに、男は肩をすくめた。
「そりゃもちろん、現摂政ナージャク・ブルナー卿に決まってるだろう?」
「で、では、それには従うことができません」
 ユキムは、相手を睨みつけるように答える。
「そうか、それなら他の連中と一緒に扱うだけさ」
 男の口調はそっけなかったが、それだけに、この先彼らが「どう扱われるか」について、あまり楽観視する気分にならなかった。

 一行はその後、目隠しをされた上に厳重に縛り上げられ、おそらく水源組合の建物のどこかへと連れていかれ、閉じ込められた。
 そのまま数刻放置された後、例の男が数人の従者とともに部屋に入ってくると、全員の目隠しが外された。
「なにするつもりだよ?」
 いまだ憤懣やる方がない様子で、イゼーラが噛みつきそうな顔で例の男——本人はナザムと呼んでくれと言った——に向かって身を乗り出す。
「なに、簡単なことさ。きみたちがどうやってあそこから逃れたか、詳細を聞きたい」
 ナザムはその場の全員を見渡しながら答えた。見たところ、狭い室内には彼しかいないようだった。さっきイゼーラたちを捕らえた組合の人間の姿はない。
「詳細?」
「そうさ。どうしてあの遺跡が、いままでそれほど知られてこなかったかわかるかい? あそこに入って生きて帰った人間がほとんどいないからさ。もちろん、組合の協力でやってる揉み潰し工作のおかげもあるがね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 声を上げたのはチグリオだった。
「組合がもみ消し? どういうことだ」
 ナザムはちょっと考えてから答えた。
「ああそうか。一般には、あの遺跡は*偶然*誰にも知られてなかったって話になってたんだっけね。本当にそんなことあると思うかい?」
 チグリオは黙ったまま、青ざめた顔でナザムを見返した。
「きみに情報を売った人間については追い追い調べるとして、ここはまずきみたちがあの遺跡の罠からどうやって逃れたかについて知りたいんだがね」
「どうやってもなにも」
 むっつり顔で答えたのはシュウマだった。
「必死で逃げたのさ。それ以外、なんにもやってないよ」
「そういや」
 イゼーラがボルトンを見た。
「あのボルトンが、仮面のひとつをあのでっかい水槽の中から取ってきたんじゃなかったっけ? それで、しばらく水の動きが止まってたはずだよな」
 シュウマが目をむいてにらみつけたが、遅かった。
「ボルトンくん? ああ、きみか。あの水の中に入ったって? 本当に?」
 ボルトンはきょとんとしたまま、こっくりとうなずいた。
「なるほど、なるほど、これは大変に興味深い」
 しきりにうなずくナザムを尻目に、シュウマが思いきりイゼーラのすねを蹴飛ばした。
「いたっ! なにすんだ、こいつ!」
「なんでそうぽんぽんと口に出して言っちゃうかな! いいかい、状況を考えろよ、相手にぺらぺら本当のこと全部教えてどうすんだよ!」
「なにがだよ!」
「ああ……そこのふたり、静かにしてくれないかな。この驚くべき事実について、考えをまとめたいんだ」
 にらみ合うシュウマとイゼーラに向かって、ナザムは朗らかにそう言った。
「いいかね、あの魔力密度の非常に大きい水に全身で浸かって、あまつさえ数リートはある水底に潜ったんだぞ? 常識的に言えば、水を支配する意思が排除にかかるか、濃密な魔力で肉体が原形を保てない、あるいは両方がいっぺんに起きるはずなんだ……ああ、彼は潜る前と後でどこか変わったところはないかい?」
「えっ、そうなの?」
 ナザムの言葉に驚いて、ボルトンが縛られたまま全身を見回す。
「安心しろ、どこも変わっちゃいないさ」
 チグリオが顔をしかめて吐き捨てた。
「いずれにせよ、ボルトンくんの身体については、精密に検査を行う必要がありそうだ。他に水に潜った人間はいないのかい?」
 全員が互いに顔を見合わせ、そして首を振った。
「彼以外にはいないわけだ。なるほどそうか」
 言いながら、ナザムは右手の指をぱちんと鳴らした。すると、扉が開いた気配がないにもかかわらず、灰色の着衣に覆面をつけた数人の人影が、ナザムの背後から進み出て、ボルトンを椅子ごと抱え上げて連れて行こうとする。
「待て!」
 イゼーラが、重い椅子を引きずりながら身を前に乗り出そうとする。
「なにする気だ!」
 振り返ったナザムが小首をかしげる。
「いま言った通りさ。彼の身体は、隅から隅まで精査しなければ。必要なら、ばらばらにしてでもね」
 担ぎ上げられたままの格好で、ボルトンが震え上がった。
「ちくしょう、やらせるか!」
 叫んでイゼーラは立ち上がろうともがいたが、太縄で椅子にくくりつけられた身体はどうにもならなかった。例の髪飾りはもちろん、持ち物はすべて取り上げられていたからである。
「ああ、あんまり暴れないほうがいい。その縄は特別な繊維でね、あまりに丈夫で身体の方が切れてしまうから」
 シュウマがぎょっとなって見ると、確かにイゼーラの肌に直接触れている部分から血が流れている。だが、イゼーラは止まらなかった。椅子ごと前に倒れると、そのまま這うようにしてナザムたちのもとへにじり寄っていく。
「これは驚いた」
 余裕の体で薄ら笑いさえ浮かべるナザムに向かって、ちょっとした子供ほどの重さのある木製の椅子ごと、イゼーラの身体が跳ね上がった。
「がっ!」
 完全に油断していたのだろう、椅子の重さの加わったイゼーラの体当たりを食らって、ナザムが勢いよく押し倒される。重いごつっという音が響き、ナザムの後頭部が石畳の床にぶつかって跳ねるのが見えた。
 灰色の人影が、ボルトンを投げ捨て、イゼーラを押しのけてナザムを助け起こす。そこに、自由を取り戻したイゼーラが襲いかかった。
 見れば、イゼーラは裸足だった。どうやら椅子の上でもがいている間に靴を脱いでいたらしい。ナザムを押し倒し、その瞬間に彼が腰に差していた短刀を器用に足指を操って奪ったのだ。
 灰色の男たちが飛びのいて距離を作った刹那、イゼーラはうめき声をあげるナザムの首もとに短刀を押し付けた。恐ろしく切れる刃が付いているらしく、軽く当てただけでつうっと血が流れ落ちる。
「……ま、まった……わかった、取引をしよう」
 ナザムはそう言いながら、身構える灰色の男たちに向けて手で合図をした。男たちは抜き放った短剣を手品のようにおさめ、身を低くして片膝を立てた。
「そういう言葉が聞けてうれしいよ。あんたみたいに安い悪役は、自分の後ろ盾をひけらかして脅かすのが相場って決まってるからね」
「おいおい、ずいぶんだなあ……とはいえ、まあわたしの後ろにあるものの名前を知ったら、少しは困るかもしれないよ?」
「こっちは身ひとつで大街道を西から渡ってきたんだ。恐いものなんかあるもんか」
 ナザムはふうっと息をひとつつき、閉じていた目を開いてイゼーラを見返した。
「世界にはね、知らなければよかったってことが山のようにあるんだ。そのことについては知っておいたほうがいい」
 あまりのことにあっけにとられていたシュウマは、なにが起きているかにようやく気づいて、思わず天を仰いだ。
「イゼーラ……あーあ」

 こいつは小説ではないので(なんかそんな風になってきたけど)、普通にネタバレしますが、このナザム氏は冒頭の「閣下」で、そして〈調停会議〉でもそこそこえらい人です。そこそこってのがミソで、幹部ではあるけど「我らの中でも最弱」とかそういう位置づけ。
 調停会議は、この地域で引き起こされかねない異常事態を未然に防ぐというのを現在の任務としていて、ナザムはその最前線で動いています。
 今回は、遺跡の占有権を争い合っている怪しい勢力(神の掌?)の均衡を取るため、遺跡への侵入者を検知して動き出したデルアザラの動きを牽制しようとしています。そして、それとは別に、あの遺跡に入って生き残ったイゼーラたちのその理由の解明と、あの水に入って大丈夫だったボルトンの身体の秘密を解明しようとしたのでした。
 街道の花のはずなのに、なんなのこの怪力……ってのはおいといて、イゼーラの活躍でボルトンが腑分けされる事態はひとまず避けられました。が、このことによってむしろ状況は悪化したといっていいでしょう。
 ナザムはイゼーラの行動力に興味を示し、ボルトンのことも含めて取引を申し出ました。
 その顛末はこの次で。

 冒頭に出てきた騎士団、いよいよ登場です。ただの騎士団ではないです。

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