南の空に黒雲が広がっている。
それは、あの人外の存在が襲いくる兆しだった。
人のように見えて人ならぬもの。
すでに亡き偉大なる術師は、あれを外つ神と呼んだ。
あの禍しき存在が神ならば、この地は滅ぶしかないことになる。
だが、希望はあった。
山より降り立ちし賢者たちが、石から作り出した巨人たちを平原の民にもたらしたのだ。
賢者たちは、巨人を「獣のごとく荒々しきもの」と呼んだ。
後の世にこれらが獣機と呼ばれるのはこれが発祥である。
巨人たちはその呼び名の通り、禍き怪異どもに魔獣を思わせる力をもって対抗した。
加減を知らないかに思えるその力は、緑豊かな平原を引き裂き、大地を割って赤熱する岩漿を呼び起こし、大気を引き裂き雷鳴とともに嵐を呼んだ——。
掘り起こされたぼろぼろの操兵の中から見つかった紙葉には、だいたいそういうことが書かれていた。慎重に書き写したつもりだったが、写し終わるころには紙葉が耐えきれずに崩れてしまったので、これが本当に正しく写せたかどうかはわからない。
言葉遣いは古かったが、言葉そのものはいまも読み書きできる類のものだったから、それほど大昔のものではないと思う。
とはいえ、なかなかに珍しいものであることは間違いがないだろう。
鍛冶組合は、こういう類のものを高く買い取ってくれるという話だった。特別な縁故がないかぎり、彼らと接触するのは難しいのだが。
さて、どうやって操兵鍛冶の連中に話をつけようかと考えながら、まだ半分埋まっている機体に目をむける。
それにしても。これを見る限り、天地を引き裂くほどのものとはとても思えなかった。
どこからどう見ても、不恰好な従兵機*1にしか思えない。
仮面のついている場所は前に飛び出していて、面頬の類はついていなかった。
面頬は仮面を守るために取り付けられるもので、どんな操兵にもかならずあるものだった。仮面こそ操兵の最大の弱点だからだが、こういったむき出しの構造を見ているとひどく落ち着かない気分になった。
とはいえ、これに乗って戦うわけでもなし。早晩売り飛ばすつもりでいるものに、違和感を覚えたところでどうということもないはずだったが。
鍛冶組合との交渉について、心配する必要はなかった。
その日のうちに、使者を名乗る人物が接触してきたからである。
最初、その男は世間話でもするように、のんびりとした声でこちらに話しかけてきた。
話題は目の前にある操兵についてだった。
年齢不詳のその小柄な男は、その操兵がこちらの発見したものだと確認してから、鍛冶組合を訪れて「使者から聞いた」と伝えれば話が通ると告げ、そのまま去っていった。
仲間に操兵の番をまかせ、半信半疑のまま最寄りの鍛冶工場をたずねると、言葉を口にする前に顔を見た小僧があわてて奥へ駆け込んでいったことをおぼえている。
だが、いざ交渉に入ると話は難航した。
そもそも金をもらってもしかたがない。
操兵を無理に金に換算すれば、どんなに安くても金で十万はくだらない。
仲間と山分けしても、そんな金を持ち歩く方法はない。信用のある金貸に預けるという手がないではないが、好きに引き出せるものでもないし、そもそも金貸という人種は本質的に信用ならないものだ。
もちろん鍛冶組合としては、個人に操兵を渡すわけにはいかないという立場だった。
交渉役の鍛冶師の態度も、その一点では徹底していた。
見たところ、ひどく人当たりがいい人物に思えたのだが。
操兵のかわりに、「仮面」やその材料となる「石」、魔道の物品などを求めてみてもやはり結果はおなじだった。
結局、交渉はまとまらなかった。
件の鍛冶師のもとを辞して、掘り出した操兵のもとへと戻ると仲間と話し合い、妥協はしないということになった。
襲撃があったのはその夜のことだった。
襲ってきた連中そのものは、ただの野党の類だった。
だが、連中の背後に何者かが存在することだけは間違いがなかった。
おそらく、やつらを拷問にかけて口を割らせても、雇い主の名前が出てくることはないだろう。
それほど、鍛冶組合のやり口は徹底していた。
かりに明白な証拠を残したとしても、連中の影響力のほどを考えれば、たやすくもみ消されることは間違いのないところだろうが。
なにしろ、やつらがいなければ、どの国も操兵を手に入れることはできないのだから。
噂では知っていたが、まさか本当にこんな強引な手段に訴えてくるとは。
正直、もう何段階か動きなり、警告なりがあると思っていた。
厄介なことに、相手は操兵を持っていた。古いガレ・メネアスだったが、操兵を持たないこちらにすれば、それだけで十分に絶望的ではあった。
目の前に操兵はあったが、動くとは思えない年代物である。
せめて動くかどうかの確認だけでもしておくべきだったと悔やんだが、そもそもそんな可能性があるならとっくにやっていただろう。
苦々しげに見上げた操兵と目があったような気がした。
次の瞬間、周囲の景色が一変していた。
そこは、いずことも知れぬ平原のただなかだった。
地平のむこうには紫色の暗雲が浮かび、不気味な稲光をまといつかせながらゆっくりと空を覆いつつあった。
ずしりと揺れを感じ、すわ盗賊の操兵かと振り返る。
そこにいたのは、たったいま目の前にうずくまっていた操兵だった。
いや、違う。
その機体は、たったいま鍛冶工場から運び出されたかのようにぴかぴかだった。のぞき込めば、顔が映りそうなほどだ。
なにより異様だったのは、その動きだった。二本の脚で立ち、二本の腕で巨大な鉾を構えているが、前かがみになって背筋をうねらせるように進むさまは、人のそれというより猫科の猛獣を思わせた。
そして、獣を思わせるそれは、目の前の一体だけではなかった。
見回せば、あたりを埋め尽くすほどの数が、めいめい地平の彼方をにらむようにして身を低く構えている。
と、そのうちのひとつが、獣のように胸の仮面を天にむけ、機体を震わせるように吠えた。
吠えたとしかいいようのない音の響きだった。
それにあわせ、周囲の獣たちがいっせいに吠え声をあげる。
紫の闇が、漏斗状にのびてきて獣の操兵たちの上に降りかかったのは、まさにそのときのことだった。
電光が地をうがち、大地が大穴をあけて吹き飛ぶ。獣の操兵たちは宙に舞いあがりながら、手にした鉾を闇の中心に投げつけた。
闇の中心に閃光が走り、巨大な火球が生まれてそれが巨大化する。
底知れぬかに思えた紫の闇は、その一撃に引き裂かれ、断末魔のごとき稲光を四方八方に走らせた。
それに打たれて幾体かの操兵がばらばらになるものの、恐れを知らぬかのように操兵たちは闇の向こうへ殺到した。
それがどれほどの間続いたのか。
ほんの一瞬だったともいえるし、数時間、いや数日——あるいはそれ以上の長きにわたって繰り広げられたことだったのかもしれない。
いずれにせよ、その戦いにもついに終わりのときがきた。
いまや暗雲は地平の彼方へ押しやられ、地を満たした操兵たちのうちで五体満足なものは見当たらず、その大半は倒れたまま二度と動かなくなっていた。
獣の操兵たちの戦いは、莫大な犠牲をともなってついにあの暗雲を追い払った。
そう思った刹那。
電光をまといつかせた巨大な紫の影が、突然目の前に降り立った。
ひょろりと背が高い。ほぼ操兵ほどの大きさを持つそれは、見た目こそ人の形をとっていたが、紫色に霞む身体はのっぺりとしていて、顔にあたるであろう部分には目も鼻も口もなにも見当たらなかった。
その顔らしき部分がこちらに向けられる。おそらく口にあたる場所に、突然ぽっかりと漆黒の穴が開いた。その穴が歪みながら両端をつり上げていく。
ただそれだけのことだったが、とてつもなくおぞましい光景だった。
空虚な笑み。
地獄の悪鬼がどんなものかはしらなかったが、案外目の前にいるこれがそうなのかもしれない。
いずれにせよ、その一瞬、死を覚悟したことは確かだった。
いや、地獄の存在に出会って、単純な死ですむものなのか。
恐怖にすくみあがっているはずなのに、そんなやくたいもないことが頭に浮かぶ。
紫の巨人が、まっすぐ腕を振り上げた。こちらを狙っていることは疑いようがなかった。
不意に横合いから咆哮が轟いた。巨人の顔に浮かんだ虚ろな笑みが、驚きのそれに変わる。
巨人の身体から、異様な角度で鉾が飛び出していた。
機体を震わせ、獣じみた吠え声をあげながら、あの操兵が巨人に突き入れた鉾をさらに押し込もうとしている。
苦悶に表情を歪めた――ように見える――巨人は、鉾の柄を握る操兵の手をつかみ、もつれあうようにして倒れこんだ。
巨人のまとう稲妻に打ちすえられながら、その操兵はちらりとこちらに目をむけたように見えた。
そう、それはもちろん夢だった。
さしせまった危機から目をそらすため、頭が勝手に作り上げた幻想だったのかもしれない。
すぐ目の前には、大槍を振り上げたガレ・メネアスが立っていた。長い夢に思えたが、現実には一瞬のことだったらしい。
結局、結末そのものは夢と大差ないらしい。
得体の知れない悪魔に殺されるか、操兵にたたき潰されるか。
まあ、悪魔に殺されると地獄に連れていかれるというから、まだましかもしれないが。
だが、ガレ・メネアスの振り上げた槍は、いつまでたってもその場所から動くことはなかった。
と、従兵機の無骨な機体が、ぐらりと揺れたかと思うと、地響きをたてて仰向けに倒れこんだ。下敷きになりかけた操手が、背中と地面との間からはいだして、血まみれの顔でうめき声をあげる。
頼みの操兵が動かなくなって、盗賊たちは総崩れになった。
何人かはこちらにむかってきたが、生身の戦いになればこの程度の連中、どうということはない。軽くあしらっただけで、ほうほうの体で逃げ出していった。
取り残されたガレ・メネアスは、その後なにごともなかったかのようにふたたび動き出した。
操兵は気まぐれなものだが、それにしてもどうして突然動かなくなったのか。
奇妙なこともあるものだと、ふと目をやった向こうにあったのは、夢の最後にこちらを見たあの操兵と、まったく変わらぬ姿勢でこちらを見やるあの機体だった。
《ラビオーグ》
非常に古い操兵。俗に古操兵*2と呼ばれるもののひとつ。
ラビオーグはこの機体の固有名で、機種としてはドラエン・ゴラ(古い不可解なもの)の名で呼ばれている。ただし、現在のところ確認されているものはこのラビオーグ以外にない(後述の文献には、この機種と思われる操兵の記録が残っている)。
一説には、鍛冶組合以前に操兵を作り出す組織が作った古典的な操兵だとも、千年以上昔にあった古代文明の遺物だともいわれているが、事実は定かではない。
鍛冶組合による機体ではないので、根本的な修復などは不可能。老朽化が激しいため、能力そのものは非常に低い。
このラビオーグとともに発見された古文書によれば、ドラエン・ゴラ種は西方暦初頭に南からの蛮族と戦ったという古典的な操兵(獣機の別名で知られる)のひとつで、その力は天地を揺るがすほどであり、蛮族を迎え撃つために集結した機体の数は、南の平原を埋めつくすほどだったという。
もっとも、この文献の記録を信用するには証拠が不足しており、他の文献の内容とも大きく矛盾している箇所が多いため、この文書の信憑性そのものが疑われている。
*1 操兵の中でも頭部を持たない簡易的な機種。
*2 古い出自不明の操兵をさしていう。多くは千年以上昔に作られたもの。まれに非常に強力な機体も存在するが、多くはがらくたかそれに類するものである。
著:日下部匡俊
原型製作:R-Grey
CG加工:伸童舎
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