こないだも書きましたが、ワースの立ち上げではいわゆる科学的な成り立ちのロボットが多かったので、操兵はあえてそれを外す方向で設定されました。
関節に力学的に頑丈かつ円滑に可動する機構を導入するとか、潤滑剤の封入とか、機体のフレーム構造とか、そういう部分で普通に組まれたロボットじゃロマンがなかった(当時)わけです。
だから、鍛冶屋がいい加減に、どちらかといえば外見に力を入れて作った呪術的な代物という設定は、当時としては裏をかいたものだったわけですよ(呪術的ならなんでもいいわけじゃなくて、仮面っていう動力源とか血液とか冷却水とかいろいろそれらしい機構があるわけですが。この辺はスチームパンクも入ってますね)。そういう考え方がこの30年で行き渡ったので、目新しくもなんともなくなりましたが。持ち出したら「またか」って言われるほどでもないとは思いますけど。

『聖刻の大地』で聖刻の力が弱まって、操兵に普通の力学が通用するようにしたのは、新しい操兵の雰囲気を作りたかったからです。現状だとウォーカー某やATとどう違うんだって話になりますが、そこは具体的に描写を重ねることでイメージができていくかなあって。
小さくしたのもそういう理由です。動力が弱まったんで、大きいと壊れやすくなるし、力も出ないから。たった2メートルですが、体積にすると相当なものになるんで。や、なら4メートルくらいにした方がいいのかもしれませんが、そうなるともう別物ですからねえ。
アレですよ、F9xシリーズMSと、それまでの大型化の一途をたどったMSの大きさの差と一緒ですよ。そんなの知らないか。オレの中では最新のMS豆知識なんだけどなあ!(90年代前半の話だと気づいて愕然。操兵とほとんど変わらねえじゃん)

まあ結局こんなもの雰囲気でしかないんですが、これがあるとないとでは大違いなのです。世界を支配する空気が作品(ゲームも含む)の方向性を決めると言って過言ではないので。

日下部匡俊