聖刻シリーズの名前が初耳の方は、『聖刻シリーズとは』、『聖刻日記 #3』などを一度ご覧ください。
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操兵の歴史的な話の続き。
最近、こういう書き方多いですな。書く側としては続きものの方が楽でいいんですが。
初期型の獣機と呼ばれた機体は、その名に反して従兵機に近い形状だったようです。ただし、能力は後世の従兵機に比べて高かったと考えられています。機体はその単純な形状のおかげか、きわめて頑丈で、狩猟機では完全に破壊されているような状況でも稼働したという記録が残されています。
しかし初期の操兵がなぜ獣機の名で呼ばれたか、これだけでははっきりしません。そこで史料をあたると、この時期の操兵は、のちの操兵に比べて非常に扱いにくかったという記録が散見されます。曰く「荒馬のようであった」、「首輪をつけない猛犬同然」、果ては「四手熊(西方土着の巨獣。非常に獰猛)を飼いならすに等しい苦行」とまで表現されているのです。
どうやら、かの呼称はここから来ていると見て間違いないところでしょう。
実際に獣機がどれほどの強さだったのか、史料から推測するしかありませんが、これが投入されるだけで戦場が荒れに荒れたという記述が随所に見られたこと(獣のように無秩序に戦ったのだとすれば、十分にありえる)から、人間ではどうにもならない相手だったことだけは間違いのないところです。
ちなみにこの時期の獣機は、ほんの数例ですが稼働状態にあるものが保存されています。ラビオーグ(機種名ドラエン・ゴラ)と呼ばれるものがそのうちの一つですが、この機体は比較的最近(といっても半世紀ほど経過していますが)外装を換装されていて、当時の意匠はあまり残されていないようです。
さて。
獣機の時代はさほど長続きしません。推測ですが、原因はおそらく獣機たちが操手の言うことを聞かなかったからと考えていいと思われます。操兵が狩猟機主体に移行したのは、当然の流れと言えるでしょう。
実際、これを裏打ちするように、狩猟機主体となったとたん、獣機が主力の頃のような荒れた戦場だったという記述はすっかりなりを潜めました。かわりに操兵同士の一騎打ちを賞賛するものや、軍勢のぶつかり合いの記録が多く見られるようになり、人間の軍勢同様、操兵の集団の秩序立った動きの様子も記されています。
従兵機としては最古の部類に入りながら、4世紀以上製作され続けている機体。
そう、ご存知の方はご存知のガレ・メネアスです。この機体の出現を境に、獣機という呼称は急速に衰退していきます。当時のガレ・メネアスと9世紀のものがまったく変わっていないとは考えにくいのですが、根本的に変わっているはずはない(でなければ鍛冶組合が「原型機」として登録し続けるはずがない)ので、この時期の操兵がどういうものだったかはこの機体を見ればおおよそ推測がつくでしょう。
ま、まだ4世紀って……続く。
日下部匡俊
コメント
「ドラエン・ゴラが当時の獣機である(気性が荒く扱いづらい)」という話と、「ルール上のドラエン・ゴラ(ラビオーグ)が普通の(しかも低ランクの)扱いやすい従兵機である」と言う事実が、どうにも符合しなかったのですが、ふと記事中の表現から思いついた事があります。
「この機体は比較的最近、外装を換装されている」と言うところです。これを見て、剣の聖刻年代記の小説中で、古操兵(軍神)が呪から逃れるために形状を獣に変えたら、獣的思考にとらわれてしまった話を思い出しました。
ドラエン・ゴラも当初はまっとうな?獣機だったのが、普通の従兵機的な外装に換装した(ラビオーグ)事で、「形にとらわれて」能力低下と引きかえに、まっとうな従兵機になってしまったのかも、と思ってしまいます。
もちろんそれもありますが、扱いやすい機体に変貌したのは、劣化によるものが大きいと思います。作られて何世紀もたって力を失ってる上に、改修されて牙を抜かれたんでしょうね。なんにせよ、「こう見えて、昔はすごかったんじゃ(ゴホゴホ)」ってパターンはまあ割と珍しくないかなあと。