アハーンなる世界がある。
力と魔道の支配するその地に、古より伝えられる武具があった。
その名を〈操兵(リュード)〉。
操手たる人間をその裡に乗せ、千人力ともいわれる膂力を発する鉄の巨人である。
時の王たちはこぞって操兵を手に入れ、強大なる鉄の軍勢を作り上げた。
ゆえに、幾百、幾千の歳月を経てもアハーンに戦乱の絶えたことはなく、操兵たちは変わらず戦場を駆けめぐっている。
このアハーン大陸にあって、いまなお語り継がれる数多の操兵にまつわる物語。
その一部を、ここで紹介しよう。
この白い機体を、連中はバインと呼んでいた。
いままで目にしたことのあるどの操兵にも似ていなかった。
目立つ機体だった。
三角帽でもかぶったような頭部に、真っ白な機体。
独特の構造をもつ甲冑は、とにかく一度目にすればなかなか忘れられないものであることは間違いなかった。
そのくせ、心肺器の音はひどく控えめで、よほど近づかなければなんの音かはわからない。
足の裏も工夫されていて、見分けのつく足跡を残さないつくりになっていた。
正直、目立ちたいのか、目立ちたくないのかはっきりしない機体だった。
いや、雇われの人間にすれば、どうでもいいことだったが。
連中には金で雇われただけだった。報酬は破格だったが、それだけに警戒もしている。
基本的に指示にしたがう契約だったが、とくに縛りもなく操兵を乗り回せる上に、相場の倍近い報酬の半分が前払い。
露骨に「用が済んだら始末」の臭いがふんぷんとする。
もちろん、むこうがなにを考えているかはっきりするまでは、契約にはしたがうつもりだった。
相手に落ち度がないまま裏切れば、こちらの評判にも影響する。
この世界で生きていくのもなかなか面倒なのだ。
寝ているところを起こされ、急いでやってきたのは真っ白な塩で覆われた小さな峡谷だった。
いかにもなにかありそうな場所ではあったが、それ自体は気にすることではなかった。
谷底近くまで降りてから、バインは特に塩がぶあつい斜面の前で待機することになった。
なるほど、これなら遠目には見分けがつかない。この機体色が、この状況に備えてのものとは思えなかったが。
こちらの見張りもおかず、連中はそのまま谷底に降りていった。
バインの目を通して見ると、谷底の中心には背の低い建物があった。肉眼では、塩の反射する白色光にまぎれて見えなかった。
小さくなった人影が、その建物のなかに消えていく。
それからどのくらい待っただろうか。
やがて、雇い主たちが姿を消したあたりに、ふたたび動くものが見えた。
バインが勝手に拡大する。
見知った顔だ。雇い主のひとりだった。
両腕で細長い赤いものを抱えるようにして、こちらにむかってやってくる。
ほかに仲間の姿はなかった。必死の表情を見てとって、バインを立ち上がらせる。
なにかに追われている。それだけは間違いなかった。
ならば、まずはあの男――小僧と呼んでさしつかえない見てくれだったが――を救助して、事情を聞き出し対処する。
それが最善だろう。
塩の結晶を蹴散らして、滑るようにして斜面を下る。
悪いくせのない素直な操兵だった。
かといって、飼い慣らされたひ弱さは感じさせない。
操兵を動かすのは、その顔につけられた仮面だった。
仮面はこの巨体を動かす得体のしれない力の源であると同時に、それ自身の意思を持っている。
力の源である以上、優れた仮面ほど機体を強力にするが、同時にくせも強くなる傾向にある。
腕の立つ人間にへそまがりが多いのと一緒だ。
このバインにはなみなみならぬ強さを感じるが、同時にこちらの命令に従う素直さもあった。
さもなければ、乗って間もない人間に、こんな斜面を一気に下るなどという芸当を命じられて、そのままやりおおせるなんてことがあるはずがない。
たいていは嫌がるか、わざとへたに動いて胸の中におさまっているこっちをひどい目にあわせようとするのがおちというものだった。
ともあれ、バインは長駆二百リート(約八百メートル)ほどの斜面をすべり降りて、差し出した手で走ってくる少年をすくいあげたのだった。
相手が小柄で助かった。操兵の手は、大人をつかむには少々大きさが足りなかったからだ。いきおいをつけて胴体をつかめば、臓物を上下から飛び出させることにもなりかねない。
とにかく、その男を掌に乗せた格好のまま、バインに急制動をかけさせ、くるりと反転させてから斜面を駆け上がらせる。
なにがあったとたずねても、少年は蒼白の顔のまま口を真一文字に結んで言葉を発さなかった。
まあ、助けにもどる必要がないのなら幸いだ。
背後に動く気配はなかったが、そのまま峡谷の入り口までたどり着くと、塩の斜面より数倍は走りやすい道をバインに全速力で走らせた。
いくつかの小谷と丘陵を抜け、大きな川を三つほど渡ったところの繁みでようやく小休止をとった。
少年の呼吸も落ち着き、動けるだけの体力が戻ったのをたしかめてから、出発のために立ち上がる。
耳の端になにか引っかかるような違和感があった。
異音だった。どこかで、ぶうんとなにかがうなっている。
音の出どころを探して見回せば、少年の抱える剣が小刻みに震えているのがわかった。
緊張の面持ちで少年がこちらを見上げる。何者かが近づいているという。おそらくは操兵。
ただならぬ雰囲気に、バインに乗り込もうと一歩踏みだすが、そこに背後から不意打ちをくらった。
厚手の革胴着を着けていたので、背中に刃が通らなかったのは幸運だった。だが、革帽子ごしに後頭部をしたたかに殴りつけられ、意識が闇の中に沈んでいく。
そこで完全に意識を失わなかったのは、そのすぐあとに吹きつけてきた熱い湿った空気のせいだった。
顔をしかめながら顔を起こすと、すぐそばで膝をついていたはずのバインが、蒸気を吐きだしながらゆっくりと立ち上がるところだった。
さらに、その向こうには二体の操兵が立っているのが見えた。
一体は従兵機*1、もう一体は狩猟機*2である。どちらも改造がすぎて、もとの機種がなんなのかさっぱりわからなかった。
立ち上がったバインが、ゆっくりと歩き始めた。二機の操兵たちがそれに従う。
どうやらこちらには関心がないらしい。それとも、仕留めたと思い込んでいるのか。
バインの進む先に目をやると、そこには朱塗の剣を抱えて走る小柄な人影が見えた。
舌打ちをして走り出す。
あれがどんなものだろうと、命より大事なものかと。
相手の狙いは火をみるより明らかだった。あの剣さえ捨てれば、逃げのびる機会もできるに違いない。
とはいえ、残りの連中を犠牲にしてまで手に入れようとしているのだ。それがどんなにばかばかしいと説いても、そもそも理解できないに違いない。
そうこうするうちに、突然操兵たちの足音が止まった。
物陰に身を潜め、向こうをうかがうと、なにかにつまずいたかうつぶせに倒れている小僧の姿があった。かなり派手に転んだらしく、遠目にもはっきりと顔が血まみれだったが、それでも朱塗の剣は手放していなかった。
小さく天を仰ぐ。うんざり顔でさっきにもまして盛大に舌打ちしてから、大声をあげながら操兵の背後から駆け寄った。
あとで思い返してみれば、どうしてそんなことをやったのか。
見捨てて逃げだせばそれでおしまい。雇い主が全滅となれば、評判も気にする必要はない。もっとも、この事情を聞いて、非難してくる人間はあまりいないとも思うが。
だが、そうはしなかった。
できなかったとは言うまい。
もちろん成算なしにやったわけではない。
操兵には力ではとてもかなわないが、むこうも人間ひとりをとらえるのはひどく苦手なのだ。
足もとを素早く走り回る蟻を踏みつぶすのは案外難しい。
そういう理屈だった。
実際、手前の二体は思惑通りに混乱してくれた。従兵機など、脚をもつれさせて前のめりに倒れる始末だった。
だが、バインはそうはいかなかった。
優雅ともいえる動きでくるりと振り向くと、腰にはいた剣をすらりと引き抜き、正確にこちらにむけて振るってくる。
引きつけてかわすのがやっとだった。かわす頃合いが早ければ、こちらの動きに合わせて剣がついてくる。それほどぎりぎりで見切れなければ、命を失う危険のある相手だった。
ぼうっと風圧を残して振り抜いた切先を、バインが手許に引き戻す。
まさかこれほどとは。バインの能力と、操手の技量を完全に見誤っていた。
バインと真正面から視線が合った。
正直、終わったと感じていた。あの剣がほんのわずかでもかすったら、身体は原形も残さず肉片と化すだろう。おそらく、苦痛を感じる前にことは終わっていると思うが。
不意に、どこからかかんだかい声が響いた。
見ると、例の少年が朱塗の鞘をはらい、刃で指先に傷をつけ、意味のわからない、しかしひどく魅了される響きを持つ言葉でなにか呪文めいた言葉を叫んでいた。
バインが動きを止めていた。
それも唐突に。びくとも動かない。全身から蒸気を吹き出し、あれほど生き生きと動いていた鉄の巨体が、ひどく不自然な姿勢のままで固まったように止まっている。
数呼吸ののち、バインがゆっくりとかしぎ始めた。機体に取り付けられている拡声器からは、言葉にならない悲鳴のような声が聞こえてくる。
一瞬ののち、土砂を噴き上げながら、バインは右肩のあたりを大きく地面に食い込ませていた。
衝撃で胸の艙口がずれ、大きく口を開けている。それが中から蹴り開けられ、血まみれの男が姿をあらわした。
額を切ったのだろう。目がよく見えない様子で、血のりをぬぐいながら周囲をうかがっている。それを背後から拾った木の枝で殴りつけるのは、赤子の手をひねるよりたやすかった。
崩れ落ちる男を放置して、バインの操手槽に身を滑り込ませる。
だが、操兵はなんの反応も示さなかった。
まずい。すでに例の二体はこちらにむかってきている。
たしかバインがこうなったのは、あの少年がなにか呪文のようなものを唱えてからのはずだった。
操手槽から身を乗り出し、剣を鞘におさめている小柄な影に目を向ける。
それに気づいて、少年はあわてたようすでバインを見上げ、ふたたびなにごとか唱えはじめた。今度は声をおさえ、なだめるような調子だった。
とたん、心肺器の起動する重い振動が座席の下から伝わってくる。
手も触れていないのに、艙口が音をたてて閉じた。映像盤に光がもどり、血液が機体をめぐるざあっという音が聞こえてくる。
同時に、完全に脱力していた機体に力がもどるのがわかった。
勢いを得て、握った操縦桿を起こし、足踏桿を踏み込むと、バインは力強く機体を起こしていく。
それを目にして、明らかに目の前の二体は鼻白んでいた。
考えるより先に身体が動いた。慣れた操作でバインの腰から長剣を引き抜かせ、遠間の間合を一歩で詰めてその流れで手近な狩猟機を逆袈裟に斬りあげる。
笑ってしまうほどの切れ味で、狩猟機の機体が斜めに両断されていた。
悲鳴とともに逃げ出す従兵機に、転がっていた岩を投げつけて転倒させ、二度と動かないことを確かめてから、雇い主を回収にむかう。
それにしても。
なるほど、この機体をこっちに自由にさせても平気にしているはずだった。
やつら、呪文で自由にこの操兵を止められるのだ。
さて、これからどうしたものか。すすんで貧乏くじを引いた気分だった。
《バイン・ドアーテ》
アハーン大陸西方北端に興った〈黒の帝国〉の操兵のひとつ。
黒の帝国は独自の技術を持ち、仮面以外のすべての部品を作り出すことができる。
このバインはドアーテ種と呼ばれる狩猟機の派生型で、ギ・ドアーテと呼ばれる主力機の規格外のものの外装を変えた機体である。
ギが集団戦闘専用機なのに対し、バインは単独行動が主となる。帝国は全西方に密偵を送り出しており、バインはこうした密偵たちにあずけられることが多いようである。
帝国の軍事組織は色の名で呼ばれている。このうち、操兵を使う強行偵察を主任務とする組織は〈白〉であり、このためバイン・ドアーテの機体色は白色であることが多い。ただし密偵という性格上偽装されていることも多く、マルツ・ラゴーシュに似た配色の機体も確認されている。
バインに選別される機体は、基本的にギ・ドアーテよりも能力が高いことがほとんどである。バインとの交戦経験のある人間の証言によれば、搭乗している操手の腕のよさもあいまって、非常に苦戦したという。
これは生存者の証言であり、実際にはバインと戦って敗れた人数も相当数いると考えられている。
*1 操兵の中でも頭部を持たない簡易的な機種。
*2 操兵の中でも人間に近い形状をした高級機。
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著:日下部匡俊
原型製作:R-Grey
CG加工:伸童舎
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