東京は連日30度を切る日が続いてます。今日なんか最高気温が26度だぜいえー。でも湿度がすごいので、十分暑いという。
結局エアコン使ってます。熱中症って、気温より湿度の影響の方が大きいらしいんで。どんなに暑くても普通にしてた猫が、ここ何日か参った感じで。湿度おそるべし。

今日は操兵を実際に作っている人の話。
操兵鍛冶は他の鍛冶師とは決定的に違う点があります。彼らが扱うものは大きいのです。大地の操兵でさえ6メートルサイズなので、骨材のサイズは小さいものでも1メートルは楽に超えますし、胸部とかの枠組みになるとサイズ的にも重さ的にも人ひとりの扱える規模を超えてしまいます。
このため、操兵鍛冶は必ずと言っていいほど数人の徒弟を抱えています。滑車なんかで重いものを持ち上げる機構は用意されているのは当然ですが、そういうものを単独で操作しつつ組み上げとか、無理があるにもほどがあるわけで。
『聖刻ノ猟手』のシュウマが世話になっていた親方なんかも、なんだかんだでシュウマの他に何人か徒弟を抱えていましたし、子供たちも助手として仕事をしていました。操兵をまともに操れるのがシュウマだけだったので、彼にそういう仕事が全部回っていましたが、当然操兵を分解して組み直す作業なんかでは徒弟総出で滑車を操ったり、部品を着け外ししたり、油を注したり拭いたりと大変なことになっていたわけです。
操兵はメンテナンスフリーなところもありますが、それは仮面のアシストがあってこその話で、位の低い仮面しか持たない従兵機や、時代の降った操兵たちは、かなり念入りな点検整備を必要としました。当然、潤滑油がなければ関節がまともに動きませんし、接合部が摩耗してポッキリとか、別に珍しいことではありません(大地に限りますが、たぶんすごい鍛冶師はベアリングくらい作って使ってたでしょう。仮面の力が強かった時代は、もっと大雑把で大丈夫だったんですが)。

本体の骨組み部分だけでも大変なのですが、操兵を組むには、さらに筋肉筒や細かい機械部品も必要になります。配管なんかは信じられない本数があって、これを管理するのは本体を作る以上に大仕事です。心肺器は見た目以上に精密さが要求されますし、使う素材も多岐にわたるので、この部分は専業の鍛冶師がいるほどです。
年代記や1092(群龍伝)では個人で操兵を扱うことはほぼなく、大規模な組織によって製造されていたので、こういった苦労はそれほど大きくなかったのですが、個人で操兵を作るようになった大地の時代では、操兵鍛冶は総合的かつトップレベルの技術者でもあったのです。

日下部匡俊