神の道。
一体誰が最初に作ったのか。たぶん、多くの人々の往来によって自然にできた道が繋がったものなんでしょうが、長い間にショートカットの経路ができたり、難所を避ける道ができたりして、次第に洗練された道筋になっていったのだと思われます。
で、それを中原侵攻のために最初に使った大規模な集団がラウマーナ帝国あたりで。それ以前の年代記の時代は、本当にただの商業的な道に過ぎなかったわけですから(さらに昔、もしかしたら東西の衝突とかあったりしたら、そうではない可能性もありますが、そこらへんはこちらでは決めないことにします)。

なにせおそろしく長いので、全体としてのメンテナンスなんて誰も考えてないでしょうし、天変地異の多い土地柄なのできっと何度も寸断されて、その度に経路も変わってきたんではないでしょうか。
ただ、道が失われてそのまんまということだけはないのではないかとも思えます。というのは、東方や西方の野心ある国家が、中原やさらにその先へ進出するために重視している道だからです。というわけで、東西の端の方は相当整備されているはずです。操兵が、横並びに何十機も歩けるような石畳の道路になってるとか。年代記の時代だと、東西ともそんな余力はなさそうですが。

中原の中央あたりはヤカ・カグラの宿場街があって、道が失われることはないと思います。怪しいのは西部の3国のあたりで、ここらは時期によって気候がかなり荒れるので通行できなくなる期間がかなりありそうですが、それでも税収が失われるので必死で直すでしょう(そして土砂が溜まって偶然出来上がった道は必死で取り除く)。隊商のもたらす通行税は、決して豊かとは言えない西部諸国にとって重要な財源なので。
あ、西部3国ってそれは大地の話で、1092だとまったく国名も配置も違いますが、やっぱり似たようなものでしょう。
人間が人間でいる以上、その営みはあんまり代わり映えしないものなんで。

日下部匡俊