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ガレ・メネアスの登場した時期には新しい狩猟機も多数登場していますが、これらは名前以外ほとんど残っていません。かろうじてバイゲン・ノオドという機種が、9世紀の新鋭機ゴーラ・オームの系列上の祖先とされていますが、機体の基本構造に共通点があるだけで、完全な別物と考えても差し支えありません。
しかし、従兵機に比べればはるかに器用な狩猟機の出現は、操兵の武器に大きな変革をもたらしました。それまではせいぜい棍棒や槍、鉈程度しか選択肢がなかったものが、剣や、大型の竿状武器などが作られるようになったのです。
竿状武器はそれほど器用さの必要なものではありませんが、先端に斧のついた竿状武器は直線的に突くだけの槍と異なり、振り回す頻度が非常に多くなるため、それまでは柄がもたなかったのですが、精錬、鍛造技術の発達によりこの時期に可能になったものでした。
また、操兵の運用上の要求から、それまで人間用の武器のカテゴリーに明確に存在しなかった破斬剣が発明されました。これは長剣と大剣の中間に属するもので、片手でも両手でも扱えるように工夫された構造を持っています。単なる中間サイズというだけではなく、柄の構造や刀身部分のバランス配分などがそれまでの剣にはないものだったのです。
このような武器の多様化は、操兵の運用法がそれだけ多様化したということでもありました。5世紀後半には、操兵は9世紀現在とほぼ同様の運用が可能になっていたと考えられています。
事実上、この時期に操兵の形が完成したと言っていいでしょう。以降4世紀ほど操兵のスタイルはほぼ変わっていません。
この数世紀で起きた変化は、操兵の生産性の向上でしょうか。もちろん、現在でも鍛冶師が手作りしている状態なので、いわゆる工業的な量産は無理なのですが、以前は鍛冶師単位のもっと非効率な生産しか行われていなかったのです。
現在のような統制のとれた分担制に移行するには、さまざまの障害がありました。
まず、操兵の部品は、主要パーツである仮面の気分を読み取った鍛冶師がすべて手をかけないと、組み上げてもまともに動いてくれないというものでした。これは9世紀現在でも変わっていませんが、仮面の気分を言語化、定量化して担当する鍛冶師全員に伝達する仕組みが作られたおかげで、複数人数で製作することが可能になりました。
鍛冶師は、特に腕利きの人間には強いプライドがあって、そのため操兵の気分を言語化する作業は遅々として進みませんでした。結果として世紀単位の時間が必要だったわけですが、それでも時間をかけて熟成されたシステムは完成度が高く、9世紀にはそれまで個人が手をかけなければ作り得なかった上級機も分担制で生産可能になっています。
日下部匡俊