111って打って、ああ、101だったっけって打ち直して、いや前の日が110だったから111でいいんだよと思い直す程度には物覚えが悪くなっています。

ワースブレイドでは、東方だけに武繰という怪しげな武術の体系が出来上がっていて、西方は武術を体系的に捉えていないという世界観になっています。
この辺は、当時(80〜90年代)一般的に思い込まれていた武術体系をそのまんま使っただけなのですが、じゃあ現実にはどうかっていえば、たぶん身を守り、相手に打ち勝つための方法を探求した人間は洋の東西を問わずいたはずで、実際そんな差はありませんでした。
仮に中国武術の方が当時優れていて、西洋では無双できたとしても、近代格闘技を見ていればわかる通り、あっという間に研究し、吸収消化して、少なくとも同等レベルまで持っていったはずです。もちろんそんなことはなくて、発想や技法の発展の仕方に違いはあったでしょうが、戦って勝つという意味での武術は同等のものが存在したはずで。
なので、現実として東西の武術に差があったとしたら、そこにはもっと外的な要因があったはずなのです。

現実だと、これが戦争の様式やら、武器の発達やら、戦術、戦略の理論、体系化云々の話につながるわけですが、まあまだ近代どころか中世も脱していない(少なくとも精神的には)聖刻世界では、ちょっと話が違ってきます。
ワースブレイド東方では、西方と違って日常が常に臨戦状態でした。相手は人間ではなく、主に昆虫や中〜大型哺乳類ですが。こいつらとの戦いに敗れるということは、すなわち死を意味します。しかも、通常の生物のように単なる生存のための攻撃ではなく、東方の生き物は悪意をもって人間を襲う連中がかなりいて、開拓村は事実上人間の前進基地のようなものでした。そんな危険な場所に行く必要ないじゃんと突っ込まれそうですが、そうやって人間の領域を広げておかないと、逆に攻め込まれて縮小の一途をたどることになるわけです。
すでに大きな領域を占有している東方の大国でさえ、そういう風にして領域を広げる努力をしていなければ、結局どんどん押し返されてあっという間に領域は縮小、やがて滅亡へと繋がりかねない状況なのです。
で、前線では当然のように一騎当千の力が要求される状況が頻出します。ある程度一般人の数が増えると、そうした人々を守らなければならないので、余計に兵士は大変です。
ワースブレイド東方に出てくる〈散亥洛〉の国はまさにそうやって出来上がった国家で、もとはこの地域に暮らす人々が築いてきた小村が力を合わせて領域を拡張し、その中でも一番優れていた人物を開祖として建国されました(他の国には、もうちょっと領域を安堵する何らかの遺物や仕掛けがあった)。なので、伝統的にこの国の人間は全員武繰の心得がありますし、武繰そのものの発祥の地である(諸説あり)とされています。

実は武繰って対人用の武術発祥じゃないのです。相手が人間だとオーバーキルな技ばっかりなのはそれが理由です(後に対人用に作り直され、伝えられているので、人間スケールの技もたくさんありますが)。これに気功乗っけて使われたら、ちょっとした巨獣でもヤバイので。まあそんな簡単に決まれば苦労がないのは現実とおなじ。

日下部匡俊