練法師は、聖刻の力を利用してさまざまな術を使う人々の総称です。
なので、純粋に魔法使い的な連中もいれば、忍者としか思えない人間もいます。練法はツールにすぎないので、どういう使い方をするかによってさまざまなスタイルが出てくるわけです。

純粋に練法そのものの探求を行なっている人間は、いわゆる隠者の魔法使いの典型でしょう。世間とかかわるのは自分の研究に必要なものの調達や、研究上の障害を排除するような場合のみで、基本的に無関係の姿勢を貫こうとすると思われます。
それならそっとしておけばよさそうなものですが、研究そのものが非常にはた迷惑なものだったりして、放置すると世界がどうにかなっちゃう場合もあるので、案外厄介だったりします。

聖刻の大地では世界全体から超自然的な力が失われる傾向にあるわけですが、そういう力が消滅したわけではありません。エネルギー保存則はこのちょっと変わった世界でも一応通用するので、形を変えて存在しているわけです。
というわけで、昔の栄光を取り戻すため、そういった力をふたたび世界に満たそうと目論む連中が存在します。厳密にいえば、彼らの目論見はちょっと見当はずれなんですが、結果的に安定しつつある世界をちょっとおかしな方向に向けてしまいます。
なにせもともと平行世界がデフォルトなので、そういうことをするとえらい結果を招くことになるんですが、当然視野狭窄に陥っている純粋研究者がそんなことに気づくはずもなく、世界はいままでとは違う(本質は同じなんだけど)危険にさらされることになります。
聖刻の大地の第1話は、その下りが(ぼんやりと)明らかになるまでのエピソードです。
もちろん、背景には西の国々も絡んだ大規模な戦いや、厄介そうな調停会議の連中なんかが絡んできて、話は一筋縄ではいきません。おそらく混乱はすくなくともすぐには収拾不可能で、面倒くさい事件が派生的に頻出すると思われます。

一方、練法を単なる道具と見なす連中は、積極的に外界と関わっていくのが普通です。練法は隠密行動に向いているので、密偵や工作員として活動する人間には、ある意味必須と言えます。もちろん、そんなものなしで練法師以上の働きをする人間もいますが、そういう方面に特殊な才能を持たない人間にとって、練法はその差を埋めるには最適なわけです。
むしろ、世間に知れている練法師は、こっち方面の人間が多いと言えるでしょう。練法が小手先の技とか、手品扱いされているのはこれが理由です。
実際、前者の隠者タイプは自分の活動を維持するために、使い魔を用意したり、絶対の忠誠を誓う配下(大抵は不死化されてたり、呪いをかけられていたりする)を必要とするので、ごく限られた人数しか存在しません(聖刻の大地の隠者は、便利な遺跡を見つけて篭っています。そう、もうお分かりですね? 封都です)。
忍者タイプ練法師は、聖刻の大地の時代には本当にただの忍者になっちゃってますが、こいつらが隠者タイプと結びつくことでちょっと変態的な連中が誕生しています。そいつらこそ……これは大地の肝だったりするのでまたこんど。

日下部匡俊