何度も書くようですが、操兵は工業製品ではありません。それはおそらく1092や群龍の時代でも引きずっていると思います。
もちろん、この時代には工業的な量産に対する考え方が確立しつつあり、どこからどう見てもそれは大量生産だろうってやり方が採用されていると思うのですが、それでも意思を持つ仮面を御しきれているとは言えないからです。
例えば、操兵には血が通っています。これはある種の獣の血を培養するなどして利用しているのですが、後世の大地ではまったく別のケミカルななにかが使われています。血っぽいけど血ではないのです。
これは筋肉筒と呼ばれるアクチュエータの変化に伴うところが大きいのですが、実はこの血が筋肉筒にエネルギーを供給する仕組みはよくわかっていません。研究している人間は当然いますが、何世紀かけても理屈がわかっていないのです(わかった、と思ったら別の事実がいきなり出て来たりとか)。
そもそも一定以上の力を持つ仮面が「ハイ」になると、血液とか冷却水とか無視して動きますから。そんなこと滅多に起きないし、普通そういうことをすると機体が二度と使い物にならなくなりますけど(八の聖刻が平然と動いてるのは、あれはもう機体の再生自由自在だからなので)。
大地の時代では、かなりきちんと動作原理はわかっていて(ただし、この時代に使われている素材に関しての話)、仮面の発する魔力がある種の力場を構成して云々ということなのですが、ほらここでも魔力とかわけのわからないものが絡んでるので、細かく見ていくとかなりカオスな動作領域が存在したりします。そこも、人間の意識や周囲の魔力の影響が大きいことがわかっているので、完全なブラックボックスというわけではないのですが(大地の時代はね)、それでも計算通りに動かないモノであることに違いはありません。
まったくもって困った代物ですが、そういうものなんだからしょうがありません。というか、そこが操兵の魅力ではないかと考えておりまして。
鍛冶師によって同型の(はずの)操兵の作りがまちまちというのも、仮面の気分に合わせてパーツを組んでいるからです。下手すっと操縦桿の形が違うだけで動作が不調をきたすのです。仮面の好みに合わせて機体を作っていれば、そりゃあ操手槽内のレイアウト変わったりしても不思議じゃないですよね。
仮面の力が落ちるに従って、この傾向は弱まっていきます。なので、従兵機や後世の操兵はもっと規格化が進んでいるわけです。それでも、ええかっこしいの操兵は、外装が好みじゃないと動きが鈍かったり、ピッカピカの時は子犬かってほどはしゃぐものもあるはずです。
なぜなら操兵はそういうものだからです。
日下部匡俊
だから、八の聖刻のように自分で機体を再構成できちゃう連中は、あれはもろに自分(聖刻)の好みが出てるわけですよ。してみるとハイダルの真・聖刻はいいセンスしてますね。