16進数ってのは、もともとデジタル回路で数値を扱うときは、電気的なオンオフが一番向いていたので当初2進数が使われたんですが、それじゃあ桁数がとんでもないことになるし、表記的にわかりやすくて2進数的な1か0かをぱっと見で連想しやすいってことで0〜9、A、B、C、D、E、Fで表現する16進数が使われるようになってですね。
いや、256って16進数で100なんすよ。10進数と紛らわしいので100hとか書くこともあります。アセンブラ言語なんかでは。

いや256回ですよ。キリ番だ(1日ぶり2回目の宣言)。特別な回なので特別なことを書きます。

おわかりいただけた通り、昔々、プログラムをやっていたことがあります。ヘボでした。6502機械語を直接ぽちぽち打ってました。アセンブラとか使える環境なんか絶無でしたし!(メモリ1KB+1KB、ストレージは300bpsだったかのカセットでなにをしろと) Z80でようやくアセンブラ使えるようになりました。MSX-Cについてきたやつ。フロッピーに入ってて、アセンブルかける(高級言語コンパイルと一緒だけど、もっと単純)とギコギコ鳴るんだぜ。いま考えると怖くてしょうがないです。
え、ハードディスク? なにそれ、美味しいの?

現在みたいに、電話レベルでこんな高度なことができるなんて想像もつきませんでした。ラップトップが出てきたのは、Z80でこっそりゲーム作ってた時期のもうちょっとあとです。原型みたいなマシンはあったかもしれない。まあどっちにしろ、使い物になんかなりませんでしたが。
OSAPIを用意して、そこにアクセスすることでハードウェアの差を吸収してくれるなんて夢のまた夢で、直接I/O叩かないとなにもできませんでした。まあそりゃあ、クロック数にして1/1000ですし。アーキテクチャの差も考えると、もっと計算能力の差はでかいはず。

もともとラジオ少年で、小学校の高学年あたりから地方の小都市で部品をなんとか手に入れて、ひたすらラジオとか作ってました。2SC372-Oとか。945とか。372はセラミックパッケージの帽子みたいな形してたのに憧れてて、部品屋で372入荷したって聞いて買ったらプラスチックパッケージの変哲のないヤツ(Yだったかなー。Oもあったらしいが)だったのでがっかりした記憶が。
で、貪るようにラ製とか読んでて、ある日そこにTTLの製作記事が載ってて、それからはデジタルに宗旨替えしていろいろおかしなことをやりました。
正直、いまこんなことしてるのは、この頃に原因があったのは間違いのないところです。
本に載ってる回路図とか製作例なんかから自分の回路を書いて(本当は、抵抗やコンデンサーの容量なんかかなり複雑な計算やんないといかんのですがね。その辺はパーツのアナログ特性知らなきゃなにもできないし、何より小・中学生の手に負えるようなものではありませんでした)、とにかく何か作り続けてました。回路的にはお世辞にも褒められたものじゃなかったんですが、とにかく手持ちの部品+α(多くはない小遣いでコツコツ買った部品)で何かを作り出すってのは、とても創造的でわくわくする作業だったのです(いまは夕飯の献立考えるのがそれに近いかもしれない)。

まあ技術の発達で電子回路がどんどん高度になって、あと大学でコンピューターやりたいのにハードウェアの特性とかばっかりやらされて(いや、そういうの学んでおくの当然だし、無用でもないことはわかってたんですが)うんざりしちゃって、一度ゲーム作ろうとして以降は開発とかには一切関わってないんですが(皮肉なことに、ワースブレイドはそのすぐ後に作り始めることになったのでした)。

なんつって、自分の過去をとうとうと語り始めると人生もおしまいって気がしないでもありませんが(そもそもこんな話読まされて誰が楽しいっていう)、とりあえず自分的にメモしておくのも悪くないかなって。日記だし。自分のとこに書けって話もありますね。そうですね。すいません。
こういう経験を経ているおかげで、コンピューターやその関連のガジェットにまったく抵抗がありません。DOS時代ばりの厄介な設定画面とか出てくるとうんざりしますが(そこらへんには郷愁を一切感じない!)。

気がつくと結構長くなってますね。おかしい、ただの枕だったはずなのに!

というわけで、今回は冒頭の文章は省いて、おそらく大半の皆さんには意味不明の単語にリンクを張ってみました。こんな内容で聖刻の説明してもしょうがないし。じゃあなんで書いた。
赤松先生みたいに、いまだに嬉々としてApple][に拡張ボード発掘してきて挿して他のOS動かしたり、怪しげなデバイスつないだりなんかしてるとカッコイイですが、オレ、その気力も財力もないしなあ。

日下部匡俊