聖刻シリーズをご覧になるのが初めての方は、『聖刻シリーズとは』『聖刻日記 #3』などをご一読いただければ幸いです。
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あと、キリオンって西方将棋の定石のひとつ。
まだ形になってないので、これはネタとしてメモってる程度のものですが。

いや、今日は全然違う話。
異界との橋渡し役である聖刻ですが、こいつにまるで人間のような人格が宿るってのはどういうことでしょうか。
もちろん細かいところでは非人間的だったり、イカレてるとしか思えないところがあったりするわけですが、じゃあそういう人間はいないのかというとそうでもなかろうと。信じがたい性格の人間だっているらしいですからね。
てことは、果たしてこれは聖刻由来のものなのかという疑問が残ります。じつはこれ、人間の意識の動きやらなにやらが聖刻に反映されているだけなんじゃないかと。
こんなこと書くと、「意識や人格があるって言ったのそっちじゃん」と突っ込まれそうですが、聖刻が本当はなにを考えているかを探ろうとしなければ、徹頭徹尾人格があるようには見えるし、その通りに振る舞ってるんです。ただ、聖刻ってなんでそんなに人間的なの? って考えると、思いつく理由がそれかなと。

つまり、聖刻上の人格ってVMで走ってるOSみたいなもんなんですよ!
だから、聖刻の本質から発したものではないという考え方もできます。ほら、ちょっと複雑な話になってますが、ヴァシュマールなんか何重にも人格が存在してるでしょ? あれです。
群龍でも、龍の王っていう厄介なおっさんが他人に憑依した状態で出てきますが、あれもVM上の存在。古代のオーバーテクノロジー使って永遠の生命を求めたらあんなんなっちゃんたんですね。いや本当のところは知りませんが。千葉先生に聞いたわけではないので!
そういう解釈もできるなって話です。

でもまあ、聖刻が本当のところどういう価値基準で動いてるのか、そもそも本当の意味で人格が宿ってるのかって聞かれると、よくわからないとしか答えようがありません。たぶんそういう人格とかって、われわれの理解できないものだったりするので。路傍の石ころを大切に扱うかと思えば、無垢な赤子を無視したりする。しかも一貫してるかと思えばそうでもない。

聖刻のそういう部分とコミュニケートできる異能の人間とか出てきて、それがまた厄介なやつとかって話をたったいま思いつきましたが、思いつきで話書けるほど甘くないのでメモにとどめておこう。

日下部匡俊