祝・異世界おじさん再開。
自分的には純粋に面白いんですが、世代によってはSEGAというロストテクノロジーや2K年代初頭という太古の時代の空気を感じ取って楽しむもののようで。
ガッデム!
あの頃は飯屋に行って、90年代後半の葡萄酒とか見て(飲んだとは言ってない)「いやー、ついこないだのはずなのに、扱い的にはもう古めの酒なんですねー」とか気取ってたわけですが、やつら(誰だよ)にとっては下手すると生まれる前の出来事で、つまりそれは自分にとっての東京タワー建設とかゴジラ襲来とか、そういう感じの時代感になってるってわけですよ。
ガッデム!
なにが言いたいかっていうと、空気大事よねえという話です。なんだそれは。

物語の大半は、空気感でできていると言っても過言ではありません。背景がかっちりしていて、それが受け手の好みにぴったりハマっていれば、黙っていても読んでもらえます。必死でお話を考えるのがバカみたいに思えるくらい。問題は、特定の人物、あるいは小集団に向けてならそんなに難しくないけど、これが商売レベルになるともう大変ってことですよね。
なんかいい方法あったら教えてください。なんて書くとよくわからないコンサルタント業の人が群がってきたりして、世の中カオスになりましたねえ。

そう思うと、なんと物書きというものはあやふやなものに依存して生きているのだろうと驚き呆れるばかりなんですが、そうなんだから仕方がない。そりゃ時代物が鉄板になるわけですわ。西洋ファンタジー風世界は根本の基盤がないので、定着するにしてももっと時間がかかるだろうし、おそらく今後も変容していくので時期ごとで内容がコロコロ変わるんじゃないかと思ってますが。難しいですなあ。

自分よりちょっとだけ上の方々の訃報に触れる機会が増えてきました。案外自分のことは気にしてなくて、別にオレは死なないぜーじゃなく、まあしょうがないかなという諦念に近いものですけれども、とりあえずやれるところまではと思ってます。たぶんもうしばらくは大丈夫(だと思いたい)。
それよりは目先の問題が大変で。うーんうーんうーん。

しかし喪ってからその大きさに気付かされるというのは、なんというかしんどいものですねえ。

日下部匡俊