ゼーガペインをお手伝いした影響もあって、自作では霊魂の存在とか生まれ変わりを素直に扱うつもりはありません。
それがないということではなく(作中では、ですが)、小理屈つけないと納得できないというか。つまり、自然状態では生まれ変わりとかそういうのは発生しなくて、なんらかの力が働かないとそれが起きないという。それが神さまの干渉でもいいんですが。そこは丸投げなのか。

神さまにしても、高次元の生き物(意思)というより、自然界の法則に対する見方を変えてみるとそういうものに見える、ってのに近いです。要するに理屈捻りたくて仕方ないってだけといえばそうなんですが。
だから、攻殻機動隊の影響なんでしょうが、どんな作品に対しても、知的存在の核になるものに「ゴースト」を据えられちゃうと、それはちょっと違うと思っちゃうタチの悪い人です。いやあれは士郎正宗氏のローカルルールであって、世界の真理というわけではないし、そこにゴーストなるものがないことをメインにして作られた作品もあるので。
おっとちょっと脱線。

1092なんかでは登場人物の転生が非常に重要な要素になってますし、それ自体を否定するわけではないのです。あれの場合、特定の属性を持った人物を何度も現世に登場させないと世界がヤバイことになるからそうしている(誰が?)ということなんだと考えています。違うかもしれません。
ただ、剣の聖刻年代記では、実は転生した人間ってほとんど出てきてないんです。デイルは戦士という血統の末裔であって、マルガルの回想に出てきた戦士の生まれ変わりではありません(だったら、もっとマルガルと絡ませないと!)。過去の人間の記憶を持って生まれてきた人間がいても、それは知識の共有にすぎなかったり。
梗醍果のアリーがそれっぽいですが、彼女も転生というより先代の記憶と意思が封じられた器に近い感じで。だから、先代の意識が消えたら、彼女は独立した別の人間になっちゃってます。力の残滓くらいはありそうだけど(ありがち)。

いい加減、自分の過去作の話はこのくらいにせんといけませんね。

日下部匡俊