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フェルム人は中原発祥の人々です。西方では海洋民族として知られる彼らですが、実は中原に暮らしていた頃は、かならずしも沿岸部で暮らしていたわけではないようです。

フェルム人が西方にやってきたのは、西方暦紀元前2〜3世紀ではないか、と考えられています。この頃、中原西部で大規模な民族紛争があった記録が残されていて、勢力争いに敗れた方の民族が沿岸部に逃れた形跡があるからです。
文献によれば、この民族紛争は神学上の問題に端を発したもののようです。つまり、フェルム人の信奉するアマルポス神に敵対するなにかが、彼らをかつての故郷から追い出したと考えられています。
この敵については、現在もはっきりしたことはわかっていません。なぜなら、フェルム人の故郷とされる地域を調査しても、アマルポス神に敵対する存在を信奉する人間は一切見られないからです。

中原で信仰される宗教はその大半がカルバラ教であり、これはアマルポス神教に敵対した歴史的事実は存在しません。また、当時、アマルポス神の勢力は相当数いたと考えられており、これらの人々を駆逐するほどの宗教勢力が存在したとすれば、最低でもなんらかの痕跡が残されているはずですが、現在のところそれらしい発見は一切なされていません。
考えられる可能性としては、アマルポス神教の内紛が挙げられますが、そうだとするには否定的な事実が多く(フェルム人発祥の地にアマルポス神教の信仰者は残っていない、かつての宗教施設と思われる遺跡はすべて徹底的に破壊された痕跡がある)、いまだにフェルム人の民族移動の原因について確定的な説は存在していません。

フェルム人は、既得権益や土地に執着しない傾向があります(なんらかの困難な問題の解決策が権益や国土の放棄なら、迷わずそれを選択する)が、これは彼らがかつて暮らしていた土地を追われ、放浪の暮らしを余儀なくされた歴史も影響しているのかもしれません。
というわけで、9世紀後半、彼らが直面した問題に対しても、非常に柔軟な対応を見せることになります。
それまで西方沿岸にとどめていた勢力圏を、中原西部にまで拡大したのです。
ファインド森林が喪失したため、旧ファインド沿岸に根拠地を多く築けたこと、西方南部が経済の中心地として成長しつつある状況で、中原との物流が拡大し、輸送手段として彼らの海運力への需要が高まっていたことが、フェルム人のこの動きを後押ししました。

結果、西方暦9世紀以降は、フェルム人たちがよりその立場を強めていくことになるのですが、もちろん一筋縄でいくはずもありません。そして、ここで彼らのかつての仇敵が姿をあらわしたりして。

日下部匡俊