まー延々自分語りやられても読む側が困ると思うんで、なんとなく頭とお尻には別の内容のことを書いたりするのですが。
近々オンラインショップで動きがありそうです。ゲームはまだですが。ごめんなさい。
で。
自分が、なんであんまり割がいいとはいえない仕事を延々やってるのかって話なんですが。前回にも書いた通り、それにはたぶん自分のもともとの性分と、生い立ちに近いものを説明する必要があると思います。
他人の内面なんか懇切丁寧に説明されても気持ち悪いだけだと思うんで、かいつまんで書くだけにとどめますが(いや実はなんでこんなに3回目が遅くなったかっていえば、子供時代のことを書き始めたらすごい量になった上に誰が読みたいんだそんなのって内容になっちまったもんで。その)、思い出してみたらそれなりに特殊な環境だったことは間違いなかったです。
常時ものを考えている子供でした。あんまり思考がぐるぐる回ってるので、どこかでアウトプットする必要があって、大変に独り言が多かったようです。ようですっていうか、自覚はありましたが。かなりしっかりと。ですんで、真面目に先生に心配されたりな。まずいですよね。
でもまあ、それ以外別に奇矯な行動は取らなかったので、お目溢しいただけたようです。
じゃあいったいなにを考え続けていたのかというと、目につくものの成り立ちとか、仕組みとか、こういうものがあったらいいな、とかいうことです。青い猫型ロボ方面への興味はそんなになかったけど、もうちょっと現実的にできるだけそういう道具的なものを実現できないかってことは延々考えてた記憶がありまして。あとロケットとか。魔球はどうやれば投げられるかとか。
で、行き着いたのがラジオの鳴る理屈ってどうなんだろうってことでした。この辺、学研の科学の影響はバカデカかったように思います(あと学習の別冊の短編小説集とか)。あれ、もう一歩踏み込んでたら、間違いなく自宅でヤバイ物質混ぜてましたね。いまならそれがどんなにまずいかわかってますが、当時は怖いもの知らずでしたからねー。小学生(時代のオレ)怖い。
とりあえず化学実験の方向にいかないで、電子工作に向かったのは幸運でした。指先やけどするだけで済んだもんな。
いやでも、プリント基板作るのに塩化第二鉄使ったりしてて、ステンレスのシンク真っ白にしちゃったりしたからなー。やっぱりなんにもわかってない子供は怖い。ちなみにプリント基板作ってたのは中学の頃です。
とにかく新しいものが好きで、そういう方向ばかり見てました(それは現在でもそうか)。いま、そんな見返りも大きくないのにこんな厄介なことをしているのは、間違いなくそういった性癖に負うところが大きいはずです。
電子工作が昂じて、最終的に当時出たばっかりのコンピュータ(ワンボードマイコン。TK-80とかの)に行きついて、以来ずっとコンピュータとかかわってます。中退したけど大学も計算機専攻だったし。
アナログ回路なんかは設計に自分の考えや目的を込めるくらいしかできなかったですが、TTL(初期のデジタルIC)が手に入るようになって回路の組み方でいろいろできるようになり、さらにプログラムで指先焦がさずに試せるようになったんで、そっち向かうのは必然ではありました。思考のアウトプット先が見つかった感。
いや、それでいまの仕事に直接リンクできてるかといえば、そんなに単純ではないんですけどね。
日下部匡俊
なんだこれ感が強いとは思いますが、もう少しだけお付き合いください。一応ワースで着地するはずなんだ。