いま、いつものファミレスにいます。ここで書くと落ち着くんです。メニューは申し訳ないけどほとんど変わらないし、むしろ昔はセカンドブランドだった方が全然上で努力してるように感じるし、なによりあっちの方がコーヒー美味しいのは大きい。
 それでも、不思議にこっちのが落ち着くんですね。まあもう通い始めて何年にもなるからかなあ。
 そして新型コロナウィルス騒動で世間がこんな感じなのに、こういう店はほどほど人が入ってます。まあ当座潰れる心配はしなくていいかなー。むしろお高い店が厳しいですよね。

 さて。
 生まれは東京なんですが、育ったのは北海道の東の方です。一般的にそこは雪の量が少なくて、かわりに猛烈に寒いことになってますが、雪に関してはそうでもなかった(少なくともあの頃は)です。
 ひと冬にだいたい1、2回、メートル単位の雪がどかんと降りました。雪まつり(札幌のじゃないです。全道じゅうどこでもやってます)みたいな雪が必要なイベントの時には地面が見えるレベルで雪がとけちゃうのに、春が近くなったとたんに身動きできないくらい降ったりします。狙ってやってるとしか思えません(まあ関東の南岸低気圧とおなじ理屈で、それが春先に多いってことなんですが)。
 小学生の時の家の前は細い道路をはさんで大家さんの畑があったんですが、雪が積もると全部その畑の方向に寄せることになります。人力だけでは大変なので除雪車が通ってくれるんですが、その時道の両端にでっかい雪の壁ができまして、家の前のそれを畑側に持っていって積み上げるわけです。
 必然的に、畑の端には巨大な城壁のような雪の山が積み上がります。それが向こう側に折れ曲がったり溶けたりして、夜の極寒にさらされてがちがちに固まるわけです。いまなら近づくなとか言われそうですが、そりゃあもう絶好の遊び場ですよね。
 あと、住んでたところは当時実にいい感じに田舎で、住宅地はかなりきちんと整備されてたけど、まだ昔からあった池や原生林を利用した公園がいくつも残ってて、公園じゃない場所にも沼地になってる谷間とかがたくさんありました。水棲昆虫やおたまじゃくしも取り放題だったし、狭い範囲で探検気分も味わえました。
 当時はなんてつまんない場所だろうと思ってました。カブトムシはいないし、クワガタもミヤマクワガタしか売ってなくて(マジで。いま、あれが一番レアで高価だという話を聞いてただ驚愕しています)図鑑でカブトムシやミヤマ以外のクワガタがちゃんと自然にいるという内地に思いっきり憧れたものです。あとアキハバラなる場所に行くと、憧れのツェナーダイオードやショットキーバリアダイオードとかSN7473がいくらでも買えるらしいし。2SC372-Oのかわりに2SC945-Yを使わなくていいんだ! とか。
 一部のどマニアしかわからないこと書いてすいません。
 や、じつはとても恵まれた環境にいたのだと、いまになって思います。むき出しというほどではなく、ほどほどに厳しくて整った自然がすぐそばにあったのは、こういう頭の中を拗らせた厄介な人間を育て上げるには絶好だったのでしょう。
 やっぱりこれも直接いまの仕事にリンクしているわけではありませんが、少なからぬ影響を与えたことは間違いありません。

 決定的に方向が決まっちゃったのは高校の頃だと思います。
 こういう生い立ちで地元のそこそこの学校に進んだわけですが、そこそこのところなので飛び抜けて成績がいいわけでもなく、その中で自己主張だけは一人前の人間が自分を保つにはどうすればいいか。
 これには某幡池師匠やら、当時師匠を中心に集まっていた同人の人たちが密接に関係してくるんですが、自分にできることはとりあえずなにか書くことだったわけです。当然周囲の人たちは全部自分より格上で、特に絵に関しては雲の上だったので、じゃあとりあえず文章書こうと。いや、絵も描いてましたけど。それはさておき。

 ここで正直に告白しますが、自分はゼロから設定を作り出せる人間ではありません。必ずベースにはなんらかの元ネタがあります。『映像研には手を出すな!』の浅草氏のように、環境から物語(ビジュアル偏重ですが)を引き出せたわけではありませんでした。これはひとえに勉強不足から来るものでしたが、当時は気にもしていませんでした。別に自分の書いたものが、商業作品として現実に世に出るなんて思ってませんでしたから。妄想はしてましたが。
 なので、高校時代の作品も微妙なものでした。そのまんまありものをパクったわけじゃないが、どこか見たことのある話というか。どっちにも振り切れてないの。著作権的には完全セーフだってのがむしろ厄介。でも、ありもののビジュアルや雰囲気を踏み台にして勝手拡張していくんで、そりゃあ無敵ですよね。他人に見せる前提じゃないから余計に。
 で。現在の自分もたぶんその延長線上にいます。この物言いだと、まるで救いがないただのパクリ作家ですが、わずかにそこに救いを与えているのは、自分の来し方なんだと思っています。ここに書いてないことも含めて。というか、そっちの方がじつは大きいんですが、それを書くと大変にグロくなるので書きません。

 うおお、長くなったので続きはまた明日。

日下部匡俊

 じつは、このテキスト、いま考え中の企画の叩き台だったりします。自分語りをして悦に入っているというより、誰かの内面を視覚化するためのサンプルに一番手っ取り早いのが自分だったってだけの話で。
 自分の切り売りって点ではあんまり代わり映えしませんが、むしろ裸踊りも辞さない覚悟です。
 じゃあなにをやろうとしてるんだっていうと……それはまた後ほど。