つづき。

©︎幡池裕行/Shindosha Wares Project
偉そうに操兵のデザイン云々の御高説を垂れたりしたわけですが、なんでそんなこと唐突に書き始めたのかというと、シリーズの(たぶん、1092、群龍あたりにも通底する)空気について書こうと思ったからです。
といっても最初に書いちゃいますが、「これは間違いなく聖刻で面白い」ってお話には雰囲気がどうとか設定の整合性がどうとか言っても無意味なんですけどね。面白いことこそ正義。これが大前提です。

ただ、雰囲気は大事です。雰囲気だけでご飯何杯も食べられるからです。なんだそれ。
操兵のデザインがどうこういう話もそこに繋がってるわけですが。いきなりガンダムやマジンガーが出てきたら、空気変わっちゃいますよね? つまりそういうことです。
ただし、そういう異質なものが登場することに意味を持たせられれば話は別ということにもなります。これはお話的な整合性ということだけではなく。見る側が「ああ、出してよかったね」的な感想を持ってくれればOKという話。

聖刻シリーズの立ち上げのとき、操兵は制限付きではあるものの、ある程度は自由に作れるものという前提がありました。ファンタジー世界のロボなので、オーバーテクノロジーな存在である操兵は発掘されたものを細々と使っているものだと思い込んでいたのですが、そうではありませんでした。
これはとてもバランスのとれた判断で、超常的な「技術」が存在してそれによって動くロボとすることで、大軍の戦いも可能になる(技術なので大量生産も理屈的には可能になる)し、その技術の限界を超えた超強力な存在も扱えるようになる。縛りが極力小さい形で(でもファンタジー世界の空気は壊さずに)物語を構築できるようになっているわけです。

©︎岡崎武士/Shindosha Wares Project
で、最初これは狩猟機1092のための汎用性を考えていない設定だったわけですが、当時スタッフ全員でTRPGにハマっていたこともありまして、聖刻1092と平行でゲーム化の企画が出て、ゲームプレイのための汎用の設定を作っていった結果、現状のような大がかりなものになってしまいました。
そうしたルールブックというか設定集の中でも再三書いてるんですが、設定はガイドラインのようなもので、厳密に守る必要性はないんですけれども。ただ、逆を言えば「これをだいたい守っていれば聖刻シリーズの空気になるよ」ってものでもあるので、無意味でもなかろうって話です。
とはいえ、狩猟機1092なんかは一般的なロボもののラインで作られてるんで、「聖刻シリーズの空気はこうだから!」とか頑なに主張するのもどうなんだということはあります。難しいですよね。

なので、最初の「面白いのが正義」に戻ったりするわけです。
要は、全体の空気やバランスに配慮はするけど、破っちゃった方がいいって思ったところはこだわりなく破るってのがたぶん一番正しいやり方なんだと思われます。