真面目な話、四操兵も展開の細かいところ、完全に忘れてたんで読みながら「これ、どうなるんだ?」って読者目線で直しやってました。展開的に余計なことする必要は感じてないので、筋そのものはそのまんまです。
いやよくあんなに先の見えない話書いてたもんだ。真面目にあれ本人もわからないで書いてたんだぜ。
なんかもう思いつきで話考えるのどうにかしろやと自分に突っ込みたくなりながら、それでも読めない展開に驚き呆れつつ読んでます。3巻も最後の方読んでから頭に戻ったら、最後の方で「これが足りてない」とか思ってたところが綺麗に埋まってました。うーん。冒頭の話の細部まで覚えてないと、ラストがまるで見えないことになるんだが?
このように()、四操兵の記は順調に進行中です。せっかくデイル編完結したんで、1ヶ月だけ空けちゃいますが来年早々に刊行予定です。まあ予定ですけど。でも年代記書いてた時、結構(仮)とかつけてたけどほぼそれでやってて、だから今回もおんなじだと信じたい。
それで稼いだ時間で短編書いたり直したり、梗醍果の補完(これは真面目に必要だと考えているので)とかやる腹づもりです。再刊なので、ゼロから書く労力はかかってないわけですが、それでもいい感じで聖刻の頭に戻りつつあります。いままでもそうじゃなかったわけではないんですが、年代記の思考法とか思い出してきたので、その流れで新作も書いていきたいところです。
しかし読んでて思うんですが、なんか話がちゃんと立体的に進んでるんですよね。書いてた当時はそれどころじゃなくて、1次元的にお話を追っかけることしかできてませんでした。正直に告白しますが。キャラがシーケンシャルに動く感じ。薄っぺらい話になってないかなーと思ってたもんですが、反省する余裕すらなくて、とにかく編集さんが面白いって言ってくれるからそれに勇気をもらって書いてた次第。
当時は真面目に 編集さんの「面白い」=原稿はよ書け だと思ってたんですよ。心にもないことをなーと思いながらも、いや、面白いって言葉をここは信じよう、自分の精神衛生のために! とか考えるようにして。
やっぱり文章による物語って、読み手の感覚に負うところが大きいんだなあと改めて感じています。自分の視野が広がったおかげで、あの頃必死でやってたことが厚みをもって見えるようになったというか。
だとしたら、もう少し謙虚にせんとなあと自戒する次第です。というか、こんなことやってたのたぶん自分だけだろうけど。
お話としてきちんと成立してたのは、運が良かったからなのかもしれません。とにかく担当のIさんって本当にすごい方だったんで。
日下部匡俊
それにしても寒いです。関東ですが。数字だけ見たら今日10度超えるかどうかってところだったので、空港行く用事があって厚着して出たら、これが暑いのなんの。うー、難しい。空港みたいにちゃんとしたところは空調もしっかりしてるので、この程度の寒さは打ち消されてしまうのを忘れてしまっておりました。
重い荷物引っ張って歩いてたってのもあるけど。
あ、わたし本人は空港に行って帰ってきただけです。
というわけで、今日は夕飯のことをあんまり真剣に考えなくていいので、いつもより1時間増でファミレスにいます。いい加減迷惑ってことを知れ、自分。