本シリーズが初めての方は、『聖刻シリーズとは』、『聖刻日記 #3』などをご一読いただければ。
聖刻-BEYOND- PV絶賛公開中!
拙著『剣の聖刻年代記』のデイル編では、遅れてやってきた神さまが世界に降臨してしまうと、それまでの神々によって成り立ってきた世界の理が書き換わってしまう、さあどうしようという話をやりました。
ここでの神々は、いわば世界を構成する理屈というか法則とかそういうもので、それが複合して世界を成立させているのですが、そこに別の要素が加わると根本の法則が書き換えられちゃって大変なことになるってことです。
例えば、いままで物質を構成していた決まりごとが変わっちゃうと、確固たる岩が泥に変わったり、過ごしやすい気候がいきなり火山の中と変わらない高温に変わったりということですね。もっと素粒子レベルでおかしなことになるんだと思うけど。
そもそも世界がきちんと構成されるかどうかも怪しいわけで。
年代記の世界と聖刻1092の世界は実は断絶のある世界なのですが、この断絶が起きる理由ってのがまさにこの理屈から起きる事件だったりします。まあ世界は泥濘に沈まずに済んだようですが。
というわけなので、年代記と1092が根本的な矛盾を含んでいてもなんら問題はないと言い切れちゃったりするわけですね。卑怯ですか? 要するに並行宇宙なんかと同じ理屈ですから。ただ、複数の作家が参加した作品で、矛盾を出さずに作品を作り出すのは不可能と言っていいわけで、それに対する理屈付けってのは遊びの部分もありますが、それはそれで面白いんではないかって考えまして。
根本にこういう発想があるので、この世界の神学関係も前回書いたような感じになってるわけです。基本理詰めでやんないと気持ち悪いのです。それに関して、いい、悪いは置いとくとして、少なくとも年代記、ワースブレイドがこんな感じなのはここに原因があるとも言えます。
なので、なんかど忘れでもしてたり、ポカやって事実確認しくじってる場合を除けば、一見矛盾しているようなことが出てきたら、大抵何か裏があるとお考えいただいて大丈夫だと思います。まあ別にそんな深読みしなくてもいいとも思いますが。隠し設定で整合性とってるなんて、ただのお遊び以外の何物でもないんで。
つまり、ここでこういうこと書いてること自体があまり意味がないことでもあるんですが、そこはそれ、ここはこういう場所なんでご勘弁ください。
てな話で。
日下部匡俊
今日、東京は雪です。雪国の人からすればなんでと思われるでしょうが、数センチの積雪でこの街完全に交通インフラが麻痺するんで、これから2、3日分の買い出しに行かねばなりません。なんともはや。